日テレ「スッキリ」10年出演した私に見えていた事 ワイドショーの問題と番組が直面した3つの死闘
そこで事件を視覚的に映しながら、起きたばかりの事件を生放送で即時的に扱う。また、収録ではないため必然的に即興性が主となる。また電波メディアを平日の朝からゆっくり見られる層(たとえば主婦)は限られていたため、該当視聴者層が望む番組構成となった。まさに現代に続く日本のワイドショーの源流となった。
また日本のワイドショーでは放送局の解説委員などからはじまって、1980年代以降は目立って専門家やジャーナリスト、そして芸能人のコメンテーターが増えてきた。それは視聴者が求める身近な経済ネタをより簡易に説明する役割を専門家やジャーナリストに任せ、スキャンダルや大衆を代弁する役割を、頭の回転の速い芸能人に任せてきたといえる。
専門家のコメンテーターはキャスターやMCが知らない専門的知識や、あるいは考えもしなかった観点から解説を述べる。それらによって話題に幅をもたせる。またジャーナリストは自らの現場での取材経験を語る。それにより新たな発見を与える。あるいは、芸能人やモデルなど、その人の意見そのものを視聴者が望むケースもある。その場合は視聴者の共感を得る役割がある。
以上がワイドショーの誕生から、コメンテーター起用のいきさつだった。しかし、同時にワイドショーの限界があった。私が思うに「スッキリ」(「スッキリ!!」)はその限界と闘う試みだったように思う。
以下、コメンテーターの立場からワイドショーの問題を取り上げ、そして同番組の死闘を述べておきたい。なお番組に関わったため、ある種のポジショントークであるのはご容赦いただきたい。
問題と死闘
①同調問題。MCがコメンテーターに話を振る前に「私はこう思うんですけれどね。〇〇さんどうですか?」と質問する。この「こう思う」が非常に強力だ。そう振られると、「そんなの間違いでしょう」とは言えず、無難なコメントになる。実際に多くの番組では無難なコメントが多い。どうしてもMC側の意見に同調してしまう。
ただし加藤浩次さんは積極的に自ら非同調を試みた。試食で「まずい」と言い、VTR帰りに「これ違わない?」と言い、「違うと思うんだよなー」と異論を誘発した。そもそもコメンテーターはその人の意見を言うためにやってきている。その独自の意見を言いやすい素地を作るのは当然といえるかもしれない。
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