そこで、ゴミ収集や引っ越し、倉庫、コンビニ、飲食店、あるいは家庭教師や研究所のマウスのお世話などさまざまなアルバイトで生活費と学費を稼ぎつつ、貧困家庭に対する免除制度を使って授業料や入学金の減額申請をしていました。
免除を受けられる枠は決まっているので、漏れることもありますが、漏れたときでも半額免除に引っかかったりと、なんとか乗り切ることができました。総額で8割ぐらいは学費を免除してもらっていますね」
奨学金と減額申請を駆使して、研究者を目指す生活。しかし、国立の大学と大学院は、よくも悪くも高専時代とは勉強環境が大きく違った。
「大学院で出会った友人たちは、裕福なご家庭の子どもたちが多かったように思います。僕は必死にアルバイトと研究に明け暮れているのに、彼らは家が太いから普段の生活を心配することなく、存分に研究に打ち込めるんです。やっぱり、時間を費やした分だけ研究は成果が出るので、そこはうらやましかったですよね。
それに、一緒に飲みに行くことがあっても、まず普段の僕なら行けないようなお店を選んできますし、そこに『お父さんからもらった高級車』でやって来るんですよ。今だから笑って話せていますけど、当時は惨めでしたね。お金で教育格差は本当に生まれるんですよ」
そんな彼らに負けじと高瀬さんは研究に打ち込んだが、思うように結果は出ない。しかし、博士課程在籍中に大きな転機が訪れる。
「周りがみんな行っているものだから、僕も海外留学に行きたいと思うようになったんですね。そこで留学の費用を稼ぐため、とあるシンクタンクで調査研究のバイトを始めたのですが、そこでの仕事が結構楽しくて。留学はしたものの、3カ月で戻ってきてしまい、28歳のときにそのシンクタンクに新卒で就職することにしたんです。大学院で勉強してきた専門性を生かすことができたのが要因でした」
自分に自信をつけ、ほかの厳しい状況の人も知った
科学者の夢は断念せざるをえなかったが、就活氷河期にもかかわらず、人気企業に入ることができた。ところが、いざ入社してみると、配属されたチームは全員東大出身。名の知れた大企業のご子息もいたという。
しかし、自分に自信をつけたこともあり、「学生時代と違って惨めな気持ちにはならなかった」と高瀬さんは振り返る。
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