SL時代も今も絶景「只見線」撮り続けた50年の記録 新緑・紅葉・雪景色、"秘境"奥会津を駆ける列車

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鉄道ファンには、只見線といえば只見川に架かる鉄橋の数々が興味あるところだ。会津若松側からだと、最初の見どころとなる鉄橋は滝谷駅を出てすぐの「滝谷川橋梁」で、深い谷に架かるカーブした橋である。1970年代には多くのSLファンが訪れ、駅の待合室はファンで満員だった。今では、すっかり有名になった「第一只見川橋梁」へ多くの“撮り鉄”が訪れるが、当時はこの鉄橋の撮影場所へのアクセスが険しかったことから、滝谷川橋梁にSLファンが集まったわけだ。

滝谷川橋梁・C11牽引貨物列車
滝谷川橋梁を行くC11形牽引の貨物列車=1973年(撮影:南正時)
滝谷駅の待合室
SLファンでにぎわった滝谷駅=1972年(撮影:南正時)

滝谷駅を過ぎて最初に只見川を渡るのが第一只見川橋梁である。今では地元で撮影地への登山道を整備し、「道の駅」もできたおかげで楽にアクセスでき、誰でも同じような風景の写真が撮れる。ここでは列車が汽笛を鳴らして徐行運転するサービスもあり、今では只見線観光のハイライト区間になっている。第一の次は「第二只見川橋梁」があるが、こちらは平凡なトラス橋であることから、ここで撮影する撮り鉄はほとんどいない。

SL時代から撮り続ける「第三只見川橋梁」

和洋折衷の三角屋根が特徴の会津宮下駅は当地の中心となる駅で、筆者も蒸機時代は駅前の旅館をベースにして「第三只見川橋梁」の四季折々の写真を撮影したものだ。筆者がこの50年間に撮った只見線の写真は、この第三只見川橋梁で撮影したものが最も多い。

1972年・紅葉の第三只見川橋梁
紅葉の第三只見川橋梁を渡る気動車の編成。さまざまな形式を連結している=1972年11月(撮影:南正時)

列車は第三橋梁を渡りトンネルを抜けると早戸駅に停車する。只見線全通の年、1971年に筆者が訪れたときは、未舗装の国道が線路をアンダークロスして只見川スレスレの所を通っていた。奥会津へは鉄道が一番便利な交通手段だった時代であった。

会津水沼駅を過ぎてプレートガーダー橋の「第四只見川橋梁」を渡り、列車は会津川口駅に到着する。只見川に面した風情ある駅で、この駅までは会津若松からの区間運転の列車もある。ここを出ると「第五只見川橋梁」を渡る。上路式プレートガーダー4連の橋梁で、1963年に完成した。本名駅と会津越川駅の間に架かる「第六只見川橋梁」は、2011年7月の豪雨の際、隣接する本名ダムの氾濫放流により流失した鉄橋で、復旧まで最も時間を費やしている。

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