やる気に満ちあふれる「目標設定」の絶妙な立て方 タスク達成を想定するか、行動の意味に主眼置くか

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やる気のある人、ない人
ちょっとしたことで雲泥の差になります(写真:Luce/sasaki106)

したがって目標を立てるにあたっては、ベネフィット(得られるもの)に視点を置くのが望ましいのだ。仕事を見つけたいのなら、「求職活動をする」ことではなく、「仕事を見つける」ことが目標。住宅を買うのであれば、「頭金を貯める」ことではなく「家を所有する」ことが目標なのだ。

目標を満たすのは心が躍ることだが、手段を完了するのはタスクにすぎない。(18ページより)

概念的な目標を立てる――具体的な目標ではなく

もしも仕事を探しているなら、目標は「キャリアの機会を開拓する」と表現することもできるだろう。あるいは、「求人情報を読んで応募書類を提出する」と表現することも可能だ。つまり両者は、同じ目線の説明である。

前者「キャリアの機会を開拓する」は、求人情報を読む理由を概念的に述べたものだ。一方、「求人情報を読む」のほうは新しいキャリアをつかむ方法を具体的に述べている。

だが、同じ目標について語っているとはいえ、モチベーションを抱かせる効果には差があると著者は指摘する。まず具体的な説明のほうは行動に主眼があり、タスクの達成を想定している。対して概念的な説明は、そうした行動をする意味に主眼を置いているわけだ。

概念的な目標は、行動の背景にある究極的な意図をとらえ、何をするかではなく、何を目指すかを語る。その一方で具体的な目標は、目標に至るまでの道のり、つまりは手段を特定しているにすぎない。
概念的にものごとを考えられる思考回路を育てていけば、目標設定にあたって単なるタスク達成を目指してしまうことにはなりにくい。自分の行動の究極的な意図や意味を考え、日常生活で概念的に思考する癖がついていると、目標を概念として広くとらえることができるのだ。(19ページより)

とはいえ概念的な目標にも欠点はある。概念的“すぎる”目標は、曖昧になってしまいがちだからだ。具体的な行動に結びつかないため、追求していくことが難しいわけである。

たとえば、単に「成功者になる」よりも、「キャリアの機会を開拓する」のほうがいい。同様に、「道徳的に汚れのない人間になる」よりも、「教会に通う」のほうがいい。成功者になりたい、道徳的に汚れのない人間になりたい、と言うだけでは、それを実現させる明確な方法や具体的な手段がないので、これらの目標を掲げることに何の効力も生じない。A地点からB地点に到達するはっきりした道のりがなければ、到達に向けて歩き出すこともなく、ただただ目的地をぼんやり夢想するだけだ。(20ページより)
次ページ夢想は心地よくてもモチベーションにはならない
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