数分で完売「カフェタナカのクッキー缶」の正体 名古屋で1963年創業の喫茶店がカフェに転身
短大卒業後、20歳のときに渡仏し、名門パリ製菓学校「Ritz Escoffier PARIS(リッツ・エスコフィエ・パリ)」、「Ecole Bellouet Conseil(エコール・ベルエ・コンセイユ)などでフランス菓子を学んだ。卒業後は三つ星レストランやパティスリーで修業し、フランス洋菓子の歴史や技、エスプリを習得した。
「父は半年くらいで帰ってくると思っていたようですが、2年間フランスで暮らしました。パリジャンたちも名古屋の人々のようにティータイムを大事にしていて、カフェを日常的に利用していました。パリのカフェ文化と名古屋の喫茶文化は共通する部分があると思い、ますますフランス菓子でティータイムを豊かにしたいという気持ちが芽生えてきました」(田中さん)
お菓子作りは引き算である
1995年、田中さんが帰国したのを機にパリのカフェのようなテラススタイルに店舗をリニューアルし、「タナカコーヒー」から「カフェタナカ」に店名も変更した。店内の片隅に最小サイズのものをさらに小さくカットしたショーケースを設置し、そこに田中さんが作ったお菓子を並べて販売した。
当時は今のようにパティシエが脚光を浴びることは少なかったが、パリ仕込みのお菓子の数々は評判を呼んだ。2003年にはジェイアール名古屋タカシマヤに、2007年には三重県桑名市の三井アウトレットパークジャズドリーム長島に出店し(現在、ジャズ店は契約期間満了のため閉店)、名古屋屈指の人気スイーツ店として知られるようになった。
田中さんが作るお菓子の特徴は、口の中に入れたときに感じる圧倒的な素材感。とくに青森や岩手、長野の契約農家から取り寄せたリンゴを使ったアップルパイや、仏・オーブナー産の栗から、昔ながらの伝統製法で作られたマロンペーストを使用したモンブランは田中さんのスペシャリテとして定評がある。
「これまで約30年間、生菓子や焼き菓子、ショコラ、ジェラートなどいろいろなものをフランス菓子の技法を守りながら忠実に作ってきました。その結果、お菓子作りは足し算や掛け算ではなくて引き算だと思うようになりました。
農家さんが大切に育てたリンゴを生かしきるには、どんどん無駄を削ぎ落としていくことが大事なんです。6年ほど前に私が大きな病気をしたことにも影響を受けているかもしれません」(田中さん)
闘病生活は1年半も続き、半年間は何とか仕事をこなしていたものの、1年間は完全に仕事を休んで治療に専念した。パティシエとして厨房に立つことができないことへの苛立ちや悔しさは想像に難しくない。
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