旧天北線、鉄道廃止イコール「地域の衰退」なのか 最北の特定地方交通線、浜頓別―南稚内間の今
1960年代の猿払村は、乱獲による水産資源の枯渇や林業、石炭産業の衰退により、日本一貧しい村とまで言われた。そこで早くも1971年から村を挙げてホタテ貝増殖事業に取り組み、当時、約4500万円ほどであった村税収入の半分近くを稚貝の放流事業に投じて、生き残りをかけたのであった。この事業は10年計画で取り組まれ1981年に完了。今では徹底した資源管理によって、年間約4万トン前後ものホタテ貝の水揚げがある。
ただ、こうした産業振興策に対し、国鉄天北線は完全に蚊帳の外だったようだ。例えば鬼志別駅の貨物取扱廃止は1982年。ホタテ産業がこれからという時期だ。天北線が運んだ貨物は石炭や木材が中心であり、鮮度がもっとも大切な水産物を輸送する体制にはなかった状況がうかがえる。
そもそも駅から漁港へ通じる専用線すら存在しなかったから、運びようがなかった。結果的に「地域活性化に鉄道の存廃は関係ない」例のひとつになってしまっている。
鉄道ルートをたどらない路線バス
猿払村内で1泊し、さるふつ公園前9時13分発で鬼志別ターミナルへ戻る。始発は中頓別で浜頓別方面からの始発便でもある。4、5人が乗っており、2人が浜鬼志別で降りた。この日は稚内空港からの航空便が全便欠航になるほどの激しい吹雪であったので、自家用車での通勤に危険を感じた人もいたかもしれない。
鬼志別ターミナルに9時25分に着き、10時30分に出る始発の稚内駅前ターミナル行きに接続。鬼志別行きに乗っていた客のうち2人が稚内行きに乗り換えた。乗車した便の前には鬼志別6時37分発、8時発と2便があり、稚内方面への通学、所用での利用が考慮されている。
鬼志別から先、国鉄天北線は小石駅、曲淵駅を経由して稚内へ向かうルートを取っていた。両駅とも駅周辺に炭鉱が広がり、一時は石炭の積み出しで栄えたが、1960年代に相次いで閉山。地域衰退の引き金となっている。
代替バスも鉄道廃止当初は同じルートをたどっていたが、沿線人口が大幅に減り、国からの特定地方交通線のバス転換交付金も底をついたため、2011年に路線の改廃が行われた。この時、鬼志別―小石―曲渕―声問間は鉄道代替バスを廃止。代わって稚内駅前ターミナル―宗谷岬間の路線バスと統合され、鬼志別―宗谷岬―稚内のルートになったのである。
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