旧天北線、鉄道廃止イコール「地域の衰退」なのか 最北の特定地方交通線、浜頓別―南稚内間の今

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最初の下車があったのが、国鉄時代は仮乗降場だった飛行場前だった。確かにバス停周辺には民家が少ないなりに固まっている。冷涼な気候により一般的な農業が厳しい土地柄なので、国道の両側は大規模な牧場か手つかずの原野ばかりである。

浅茅野も駅があった場所だが、バスはここから線路跡を離れ、漁港がある浜猿払へ向かう。猿払駅からは4kmほど離れているが、かなりの民家が集まっている。「さるふつ」とはアイヌ語の「サㇽプッ」(葦原の・河口)が由来で、浜猿払地区付近の川口を指した地名。それが村名にまで広がった。

猿払村内を走る鬼志別行き。防風柵が厳しい気象を表している(筆者撮影)

それにしても漁港の周囲に集まる建物が新しく立派だ。シャッター通りと化した地方都市の中心部より、よほど豊かに見える。浜猿払を過ぎると、バスは海岸を離れて森林の中を通り猿払へ。ここは猿払駅跡を整備したバス停で待合室もあるが、集落は小規模だ。国鉄天北線は海沿いの強風吹き荒れる湖沼地帯を避けたような内陸部にルートを取っていた。

“若さ”が目立つ猿払村

猿払から芦野まで天北宗谷岬線が走る道道1089号猿払鬼志別線は、廃線跡を改築した道路。わずかに鉄道時代の車窓がしのべる。

そのまま進めば鬼志別に至るが、芦野からはふたたび海岸沿いへ出て、猿払村最大の漁港である浜鬼志別へ立ち寄る。やはり立派な漁業関連施設や民家が並ぶ集落で、村唯一のコンビニエンスストアもここにある。

バスはここで左折して丘陵上の鬼志別へ向かう。乗ってきた便は13時56分に鬼志別ターミナル着。14分間停車して時間調整し、終点の稚内駅前ターミナルへと向かう。

鬼志別は廃止まで急行「天北」が停車していた主要駅で、鬼志別ターミナルは、旧鬼志別駅前に建設された路線バスの拠点だ。乗車券も発売する宗谷バスの窓口、待合室、天北線関連の資料を集めた展示室などがあり、公共交通の中核を担う。旭川―鬼志別間を結ぶ1日1往復の都市間バス「天北号」もここを始発、終着としている。

ここでいったんバスを降り、周囲をひと回りしてみる。立派な猿払村役場や病院、スーパーマーケットなどがあり、商店も集まっている。

2020年度の国勢調査では、猿払村は人口2611人と過疎地には違いないが、老年人口は615人にとどまり、高齢化率は23.6%だ。例えば隣の浜頓別町は人口3448人に対し老年人口は1293人で、高齢化率37.5%。同年の全国平均が29.1%(総務省統計局のデータより)だから、猿払村の“若さ”が際だっている。

猿払村の主産業は水産業、中でもホタテ貝の水揚げ量は日本一を誇る。鉄道との縁では、横浜市の駅弁屋、崎陽軒の名物であるシウマイの原材料である貝柱は、ここのホタテ貝から作られている。

内閣府と経済産業省が運営しているRESAS(地域経済分析システム)によると、2020年度の猿払村の1人当たりの地方税額は20万5000円。これは政令指定都市である仙台市や、高級住宅街が多い鎌倉市と同額である。また、同じく北海道全体の1人当たりの地方税額は13万2000円に留まる。

基幹産業がしっかりしているから若者の流出が起こりにくく、村民の収入も高水準で、厳しい気候によって痛みやすい住居も補修や建て替えによって新しく保てるとの構図が見て取れる。

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