旧天北線、鉄道廃止イコール「地域の衰退」なのか 最北の特定地方交通線、浜頓別―南稚内間の今

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天北宗谷岬線のバス
浜頓別ターミナルで発車を待つ稚内行きの天北宗谷岬線(筆者撮影)
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ローカル鉄道の廃止反対理由として、「鉄道がなくなると町がさびれてしまう」としばしば述べられる。しかし、鉄道の利用客が極端に減少してしまったから廃止論議が起こるわけであり、住民の日常生活、ビジネスの際の移動手段はすでに自動車がほぼすべて。鉄道を利用するのは高齢者と高校生だけとなっているのが実情である。廃止された鉄道の沿線は今、どうなっているのか。今回は北海道の旧天北線のうち、浜頓別―南稚内間をみていく。

国鉄天北線は1922年に音威子府―稚内(現在の南稚内)間が全通した。日露戦争の結果、1905年に日本領となった南樺太への連絡鉄道として建設が急がれ、稚内まで到達した初めての鉄道となっている。

しかし太平洋戦争後は沿線の過疎化が著しく、国鉄再建法が定める旅客輸送密度4000人/日未満の基準に該当。いったんJR北海道に引き継がれた後、1989年5月1日付で廃止された。旅客輸送は宗谷バスが代替している。その代替バスも音威子府―浜頓別間を廃止する方針となった。実施予定は2023年10月だ(前回記事「最北の廃線『天北線』、代替バスすら消える現実」参照)。

一方、浜頓別―鬼志別―稚内間の代替バス(天北宗谷岬線)は従来通り4往復の運行が確保される見通しである。沿線の浜頓別町、猿払村の旅客流動が、少ないなりに中心都市である稚内市へ向いている証左であるが、運行開始当初から見ると途中経路や便数にかなりの改変が行われている。

鉄道代替バスが残る稚内方面

2022年11月30日の水曜日、音威子府から浜頓別ターミナルへ12時49分に到着した天北宗谷岬線の便で、そのまま鬼志別ターミナルへと乗り進む。10数人の浜頓別高校の生徒が一緒であった。全員が猿払村方面へ帰る。浜頓別町には小学校、中学校への通学のスクールバスに町民が同乗できる制度もある。予約制で各地の予約制市町村営バスの仕組みと似ているが、予約受付先が教育委員会であるのが、珍しいかもしれない。

12時59分に浜頓別ターミナルを発車。国道238号をオホーツク海沿いに北上してゆく。猿払村との町村境まではすぐだ。

国鉄天北線で浜頓別の次の駅は山軽、そして安別であったが旧駅周辺は今は無人地帯だそうで、バス停はあるが下車はなかった。線路跡は浜頓別駅跡から猿払駅跡までが「北オホーツクサイクリングロード」となったが、ヒグマの出没が認められたため現在は立入禁止だ。

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