日本製紙など大きな被害、東北随一の港湾工業都市・石巻【地図で見る震災被害】

ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

宮城県石巻市。旧北上川の河口に位置し、宮城県北東部地域を代表する都市は、東日本大震災によって、風光明媚だったその姿を大きく変えられてしまった。地震の直後に押し寄せた巨大な津波が、沿岸部の住宅や田畑などをことごとく破壊。沿岸部の街はガレキの山と化してしまった。

石巻の工場群も大きな被害を受けた。大きな被害を受けた主な企業は日本製紙の石巻工場(石巻市南光町)、東海カーボン(同重吉町)、東ソー子会社の東北東ソー化学(同重吉町)、石巻合板工業(同潮見町)、造船メーカーのヤマニシ(同西浜町)などだ。これらの工場は石巻港に面して集積しており、津波によって軒並み甚大な被害を受けた。


より大きな地図で 東日本大震災 を表示

日本製紙の発表によれば、津波が押し寄せた直後の石巻工場構内は土砂が堆積。製品在庫はほぼ全損したという。他の工場も被害は似たような状況。東北東ソー化学は、津波が工場に達した当時、現場では3人の社員が残っていたが、工場の上階に避難して、難を逃れた。工場が津波に流されなかったのは、不幸中の幸いだった。

このほかにも、石巻市大街道南にある三陽商会の縫製子会社サンヨーエクセルは、津波の影響で建物や設備に甚大な被害を受けた。海からやや離れた場所では、旭化成グループの旭化成東光パワーデバイスの石巻事業所(同須江字関ノ入)も被災したが、工場は高台にあるため、津波による直接的な被害は受けなかったもようだ。いずれも25日時点で操業再開には至っていない。

もともと石巻は、江戸時代は奥州最大のコメの集積港で、明治時代以降は漁業のまちとして栄えた。それが石巻工業港の開港により、近年は工業都市の側面も持つようになったのだ。石巻市は市町村合併の流れに沿って、2005年に河北町や雄勝町など6つの町と合併。人口16万人を超える自治体となっていた。製造品出荷の4分の1は紙パルプが占めていることから、日本製紙の企業城下町という側面もある(数字は「都市データパック2010年版より抜粋」。

沿岸部の街全体が壊滅的な被害を受けた現況下では、石巻港に面した工場群の完全復旧にはかなりの時間がかかりそうだ。


■石巻市旧北上川河口 2011/3/26 16時撮影


■被災後 宮城県石巻市南浜町 (現地2011/3/12 撮影) © 2011 Google, GeoEye

(武政 秀明=東洋経済オンライン)

ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

関連記事
トピックボードAD
ビジネスの人気記事