22年続けた政治塾も休止「小沢一郎」壊し屋の落日 衆院在職53年も、ますます失われていく存在感

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小沢氏は1969年末の衆院選に出馬し、弱冠27歳で初当選。以来18回連続当選ですでに在職53年を超え、憲政の神様と称される尾崎行雄氏に迫る議員歴を持つ。森喜朗元首相ら「花の44年組」と呼ばれた初当選同期で、現職議員は小沢氏だけだ。

故・田中角栄元首相の秘蔵っ子として中央政界にデビューした小沢氏だが、竹下登元首相、金丸信元副総裁(いずれも故人)と組んで“田中降ろし”に参画。その後は「金竹小」と呼ばれる中、100人を大きく超える巨大派閥・「経世会」の若手リーダーにのし上がった。

47歳で自民幹事長、“影の総理”と呼ばれたことも

経世会主導で1989年に発足した海部俊樹政権では、47歳の若さで自民党幹事長に就任。湾岸戦争勃発時の政権の対応などで海部首相を超える指導力を発揮し、同政権末期に海部氏が目論んだ解散断行を断念させ、退陣に追い込んだ。

その際、小沢氏は、後継総理・総裁を狙う宮澤喜一、渡辺美智雄、三塚博の3氏(いずれも故人)を自らの事務所に呼んで「面接」するなど、最高実力者の名をほしいままに。その後発足した宮澤政権でも「人事はすべて任せろ」と言い放ち、“影の総理”とも呼ばれた。

しかし、宮澤政権下で巨大派閥・経世会での権力闘争が激化した結果、小沢氏は政治改革断行を唱えて羽田孜元首相(故人)ら同調者を率いて派閥を割り、離党して新生党を結成。その後の衆院選での自民大幅過半数割れで宮沢首相を退陣に追い込んだ際、小沢氏が野党を糾合して「8党派連立」による細川護煕政権を樹立、自民党を下野させた。

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