本当の個性は、「圧倒的変態性」のことである 「常識の毒」は、薬に変えられるか?
僕らは一人ひとり、自分の内側に誰からも理解されない「圧倒的変態性」を抱えて生きています。常識というのは、この「圧倒的変態性」を覆い隠すためのベールです。
よって、「常識を大切にする」ということと「個性を認める」ということは、まったく矛盾することはありません。というよりも、自分の中にある圧倒的変態性、すなわち一人の人間としての個性を守り、育てていこうとするのであれば、誰よりも常識的な振る舞いを身につけることが求められるのです。
個性とは、孤独で強固なもの
世の中には、政治や社会問題、あるいはアートや文学について気軽に「自分なりの見解」を述べようとする人がいます。しかし、本当の意味での個性というのは、そのようにすぐに言葉にして、誰かに理解されうるような次元にはありません。本当の意味での「あなたの言葉」というのは、自分以外のあらゆる他人からの理解を拒絶してしまうような、圧倒的変態性としてしか存在しえないものなのです。
簡単に言葉で表現できたり、ましてや他者から理解されたりするようなものは個性なんかではありません。それは往々にして、どこかで小耳にはさんだ他人の考えであり、他人の感情に過ぎないのです。
個性とは「私はこう感じている」という、孤独だけれど、しかし強固で揺るぎない感覚のことです。世界中で自分以外の誰もが「違う」と感じていても、一辺の疑いもなく「こうだ」と確信できること。自分の中にある圧倒的な確信こそが、本当の意味での個性といえるものなのです。
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