「走らない改造車」が増えた切実でも納得の事情 今「チューニングカー大転換期」だと言える理由
この25年ルールにより“解禁”となった日本のネオクラシックカーが、1990年代末から2000年代初頭の“日系チューニングカーブーム”に触れた、いわゆるジェネレーションXやその次の世代であるジェネレーションYが近年“大人買い”する傾向があるのだ。
こうした25年ルール適合について、排ガス規制を強化する動きも一部の州では見受けられるが、日本から多くのネオクラシックカーが北米にわたる状況が続いている。先に上げたシルビアやスカイラインGT-Rなどは、まさに25年が経過したタイミングなのである。
このようにネオクラシックと呼ばれる時代のクルマは、今や乗って楽しむだけではなく、飾って楽しむ骨董品的な価値を持つ「コレクタブル」なものになっており、破格の価格がつくようになっているのだ。
チューニングカー文化は1960年代から
ここからはチューニングカーの変遷を振り返り、それを踏まえて“これからのチューニングカー”を考えてみたい。
自動車産業界に40年以上にわたり関わってきた筆者は、チューニングカーの領域についても日米欧でさまざまな立場で、その変遷を見てきた。そうした体験から、日系チューニングカーの歴史を簡単に振り返ってみたい。
まずは、高度成長期の1960~1970年代には、自動車メーカーのレース参戦に刺激された若者が、エンジンに燃料と空気を送る調整装置であるキャブレターを交換したり、エンジン内部を加工して排気量を上げるチューニングなどが流行。
こうしたパーツの販売や整備を行う専門のショップが、一般整備工場の関連事業などとして全国各地に立ち上がった。
1980年代になるとアルミホイールがブームとなり、同時にエアロパーツを自作するユーザーも増えるなど、走りだけではなく“見せるチューニング”が増えていく。自動車雑誌でのチューニングカー特集が増え、チューニングカー専門誌が次々と登場したのも、このころだ。
このうちの1つを発行する出版社が、「レーシングカーショー」との連携企画として立ち上げたのが、東京オートサロンの前身である「東京エキサイティングカーショー」で、1983年に初開催された。
以後、毎年開催されるが、開催地である東京晴海埠頭の周辺には全国各地から愛車自慢の過激なチューニングカーが終結し、騒音や違法な集団走行が問題化。地元警察が出動することも珍しくなかった。
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