「走らない改造車」が増えた切実でも納得の事情 今「チューニングカー大転換期」だと言える理由
また、1980~1990年代にかけては、チューニングカー雑誌のほかにコンビニや書店でVHSビデオによるチューニングカーのビデオマガジンが販売され、その企画に刺激された一部のチューニングカーユーザーが、首都高湾岸線をサーキットのように走り回ったり、開業間もない東京湾アクアラインで“時速300kmアタック”を繰り広げたり、山間部の峠道でドリフト走行をしたりと、道路交通法上の違法行為が横行した。
その結果、1990年代も後半になると、道路交通法の改正や保安基準に合致しない違法改造車の取り締まり強化が行われ、チューニングカーブームは徐々に沈静化していく。さらに2000年代に入ると、スポーツカーの生産終了が相次いだことや騒音規制がさらに厳しくなったことで、ブームは終焉とも言える状況となった。
しかし、完全な終焉とはならなかった。これまでとは正反対に、自動車メーカー各社がスポーティブランドのPRやオプションパーツの販売拡充のために、東京オートサロンに出展するようになっていったのだ。保安基準を満たした軽度なチューニングの分野に、自動車メーカーが乗り込んできたのである。
映画『ワイルド・スピード』のリアル
一方、ロサンゼルスなどアメリカ・カリフォルニア州南部では、日本のチューニングカーブームに刺激された風変わりな社会現象が起こる。
東洋系アメリカ人を中心とした若者の一部が、両親から譲り受けたホンダ車に軽度なチューニングを施して、違法なドラッグレース(停止状態から約400mの直線を走りタイムを競う競技)を夜な夜な繰り広げるようになったのだ。
さらに、ロサンゼルス周辺の東洋系マフィアなどが、肌の露出が極めて多い女性と日系チューニングカーを組み合わせた“ショー”と呼ぶ、アルコール飲料も提供するイベントを開催するようになる。
こうした状況をドキュメンタリータッチで描いた映画作品が2001年の『The Fast and The Furious(邦題:ワイルドスピード)』である。筆者はその撮影現場に居合わせているのだが、まさかあの低予算の作品があれほど“大化け”するとは予想できなかったものだ。
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