「メモ」なんて面倒だ、と思う人もいるかもしれません。しかし、「メモ」というひと手間が、あとあと文章を書くときに、大きな差を生みます。
たとえば社内報のエッセイのようなものは、パソコンの前に座ったからといって「素材」が出てくるものではありません。
むしろ、駅までの道を歩いているときに、ひょいと思い出したり、「あ、これも書けるな」と浮かんだりするものなのです。しかし、注意しなければいけないのは、すぐに忘れてしまうこと。だから、すぐに「メモ」するのです。
これは取材で聞いた話ですが、人間の脳というのはおもしろいもので、指令を出しておくと、勝手に考えてくれているのだそうです。しかし、それを取り出すことが難しい。アイデアも同様です。
ある放送作家は、こんなことを言っていました。「脳が油断したときに、そういうものがパッと思い浮かぶ。だから、それを捉えてメモをするのだ」と。
皆さんも経験があるのではないでしょうか。シャンプーをしているときに、突然、仕事のアイデアが浮かんできたり、車の運転をしているときに課題の解決方法が浮かんできたり。
運動をするのも、いい方法だそうです。つまり、何か別のことをして脳が油断したときに、投げかけていた問いの答えが出てくるというのです。逆に、パソコンの前でウンウンうなったところで、アイデアや「素材」は出てくるものではない。アイデア出しはデスクに向かっては、むしろしないほうがいいのです。
これは私も大いに共感したのでした。ですから、「素材」もデスクで一度に出そうとしない。少しずつ出していく。そうすると、脳が油断したときに、「お、この話も書けるな」「この素材も使える」となるのです。
先の放送作家は毎朝のジムに行くとき、必ずメモ帳を持参していると言っていました。メモしなければ、忘れてしまうからです。
親が悩む小学校の授業参観の感想文
「素材」の重要性について、改めて強く実感した、わかりやすいエピソードがあります。私の娘がまだ小学生の頃、授業参観が行なわれたのでした。
あらかじめ聞いていたのが、「見学してくださった方は、翌週、授業参観の感想文を提出してください」という学校からのお願いでした。文章量は300文字ほど。とても少ないボリュームです。しかし、学校への提出です。おかしなことを書くわけにはいかない。これに保護者の皆さんは、大いに頭を悩まされていたのでした。
その後、子どもの父親が集まる会に参加していると、こんなことを問われました。
「文章を書く仕事をされているわけですから、あの感想文もさぞや速く書かれたんでしょうね」
聞けば、参観日のあった週の週末は、この感想文にかかりきりだったそうです。
何を書いていいのか頭を悩ませ、ああでもない、こうでもない、と何度も書き直し、奥さんからもダメ出しをされ、ほとほと嫌になった、と。なかには、どちらが感想文を書くか、夫婦でおおいに揉めて、ケンカになってしまった、なんて話もありました。
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