日本人が出稼ぎ「シンガポール」発展と歴史的背景 人材重視の「罰金の国」を池上彰・増田ユリヤが解説
池上:たとえば、昔はガムを捨てると罰金だったのが、いまではガムの販売も、国外からのガムの持ち込みも禁止され、違反すれば罰金です。公共トイレで水を流さないで出てくるのも罰金の対象だそうです。誰がチェックするんだという話なんですが(笑)。
罰金の額も安くありません。最大1万シンガポール・ドル、日本円に換算すると、100万円を超えます。禁固刑を科されることもあるそうです。みなさんも、シンガポールに行ったときには、気をつけてくださいね(笑)。
多民族国家シンガポールを体感! リトル・インディア&アラブ・ストリート
増田:シンガポールでは、中国人、マレー人、インド人など、民族も宗教も違う人たちが平和に暮らしています。
なぜシンガポールは多民族国家なのでしょうか。そもそもシンガポールは、19世紀のはじめにイギリスの東インド会社の拠点となり、植民地として発展した地域です。東西貿易の中継地として栄えると、インド南部のタミール人が働き口を求めて移住してきました。中国やインドネシアからも貿易にかかわる仕事に就こうと、大勢の人々が移住してきたのです。
イギリスは、宗教や文化的背景が違う移民たちが衝突を起こさないように、それぞれの居住区を分ける政策をとりました。それが、リトル・インディアやアラブ・ストリート。ここに行くと、そんな多民族国家シンガポールを体感できます。
リトル・インディアには、チャイナタウン近くにある屋台村・ホーカーズで食事をしたあと、電車で移動しました。リトル・インディア駅を降りると、スパイスの香りがしてきます。通りの小売店には、お供え用のカラフルな花や、頭部がゾウの形をしたガネーシャ像(インドでは商売の神様)の置物、サリーなどの民族衣装が並んでいて、目にも鮮やか。この地域だけがインド風の極彩色で彩られているんですね。
目指すは、駅から徒歩5分ほどの場所にある、シンガポール最古のヒンドゥー教寺院、スリ・ヴィーラマカリアマン寺院。背景がコンクリートのビルなのが何ともシンガポールらしいのですが、正面の門を見上げると、ヒンドゥー教の神々や戦士の像で埋め尽くされていて、まさに圧巻です。
アラブ・ストリートには、リトル・インディアから地図を見ながら徒歩で移動しました。途中には、キリスト教の教会があったり、イスラム教系の学校があったりと、異国情緒にあふれています。
小1時間かけて、アラブ・ストリートに到着。ここは、19世紀ごろに、アラブの商人らが、香料やコーヒー豆などを持ってきて、商業の街として栄えました。いまではインド系やマレー系が多く住み、シンガポール最古にして最大のサルタン・モスクもここにあります。
イスラム教では、聖地メッカの方角に向かって、1日5回(3回の宗派も)のお祈りをします。世界各地のお祈りの時刻を示す時計が、大きなデジタル式のものであったことに、現在という時代を感じました。アラブ・ストリート周辺には、こじゃれたカフェも多くあります。蒸し暑い中を歩いてきたので、カフェで飲んだトロピカルドリンクが体にしみわたりました。
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