福島・双葉病院「39人死亡」避難は正しかったのか 「災害時の患者避難の死亡リスク」を医師が検証
■福島県立大野病院
福島県立大野病院は急性期の患者を受け入れている病院ですが、双葉厚生病院との機能統合を予定しており、入院患者を減らしていたため、震災時の入院者数は46人でした。地震発生当初はすべてのインフラが途絶えましたが、非常用発電機によって電力供給だけは再開されています。
同院は初期被ばく医療機関(原子力施設近隣に立地し、その施設から搬送されてきた患者に対して初期診療を行う契約が結ばれた医療機関)に指定されていたため、3月12日午前3時頃、大熊町の福島第一原発のオフサイトセンターで開かれた緊急会議に参加していました。
その際に、県の担当者に患者搬送の手配を依頼しました。その場にいたスタッフは「たまたま横にいた人(県庁関係者)がバスの話をしていて、バスの手配ができました。場当たり的な対応だったと思います」と言います。
同日午前7時頃には大型バス2台が到着、午前8時15分までに入院患者46人全員の避難が完了しました。自立歩行可能な患者はバスで、そうでない患者はスタッフの自家用車や地元消防署の救急車で、20km圏外にある川内村の医療施設へ避難しました。亡くなった患者はいませんでした。
3つの病院を比較して見えたこと
今回の調査で見えたのは、「災害に対する備えの不足」「患者避難の困難さ」「資材の不足」「情報の不足」という4つの問題です。
福島第一原発事故が起こる以前は、放射線災害そのものの概念がなく、災害対策基本法や原子力対策指針でも、放射線災害が発生したときに病院や介護施設などで避難が必要になることまでは想定されていませんでした。それについては双葉厚生病院の病院長がこう語っています。
「(原発事故は起こったとしても)放射能汚染は原子力発電所の敷地内か、それをわずかに超える程度であって、病院が避難を余儀なくされるような状況は起りえないと考えていましたし、国もそう考えていたと思います」
東日本大震災での放射線災害において、とくに病院からの避難で難しかったのは、患者の状態、例えば軽症者か重症者かなどによって避難の仕方に工夫が必要になったことでした。また、政府によって福島第一原発近隣への立ち入り制限がなされたことにより外部からのリソースが補充されず、職員や避難支援者は通常の災害に比べて少ない医療的・人的資源のなかで医療の継続や避難を強いられていたことが明らかになりました。
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