科学界における不正防止の難しさ
大学を初めとする公的な研究機関は、研究者自身の自由で自律的な研究活動の場である。逆に言うと経営側には個々の研究者の研究テーマを決める権限はない。文科省から理研に対して配分される予算はあるが、個々の研究者はそれぞれに科学技術振興機構に対して科研費を申請・取得し、それぞれの研究活動を行っている。
トップクラスの研究者になればなるほど、科研費から取得できる額は大きくなり、独立色が強くなる。理研という大きな傘の下にはいるものの、強いコントロールは受けない。卑近なたとえだが、ショッピングモールの商店会に近い感覚だろう。個々の商店が不正経理を行ったからといって商店会長が責任を問われることがないのと同じだ。
また、野依理事長の「責任は現場の研究者にある」「大学や公的な研究機関の研究不正でトップが引責辞任した例はない」という認識は、サイエンスの世界ではそれほど特殊な感覚ではないだろう。
ただ、野依氏も理研にまったく責任がないと考えているわけではなく「こういった不正を組織として未然に防ぐことができなかったのは遺憾」と述べている。「科学的な確度を持って合理的に対応しようとしたことが、一般社会の求めるスピード感に間に合わなかった」ともいう。だが、むしろ、この「一般社会の声」に耳を傾けすぎた点が、理研の対応がぶれて見えた原因ではないか。
不正が発覚した昨年春頃には、なぜもっと早く対応できないのか、という批判が大勢を占めた。ところが、12月に第2次調査委員会の結論が出たときには「拙速ではないのか、もっとじっくり調査した方がよかったのではないか」との批判を浴びた。何をやっても批判されるのは、独立した研究機関として飛び抜けた存在である証なのかもしれない。
科学界からは反発が強かった、小保方晴子元研究員本人を含む検証実験は、6月に出された改革委員会の助言に従ったものであり、その助言自体は、一般社会の「STAPはあるのかないのかどっちなんだ」という疑問の声を汲んだものだった。改革委員会のトップを務めた岸輝雄委員長は、当時「本人がやってできないことを証明すれば世間は納得する」と説明していた。
「今回作ったアクションプランは、理研だけにとどまらず、広い研究社会で、他山の石として使ってもらいたい」とすると同時に、「行きすぎた成果主義や論文至上主義を排し、科学の本質に立ち返る必要がある」と、野依氏は述べた。自身もすでに13年に、化学専門誌に同様の内容の論文を投稿している。
どのような形で研究不正とその原因を排除し、それを実現していくのか。理研という一組織を離れたあとは、一段高い場所からサイエンスの世界にはびこる研究不正をなくす活動に尽力することが、野依氏にとって本当の責任の取り方かもしれない。
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