昭和の面影、という点でいえば、今回訪れた4駅の中で最も都心寄りの鶴ケ島駅も似たような雰囲気を持っている。鶴ケ島駅も管理している坂戸駅管区若葉駅長の石田修さんは言う。
「鶴ケ島は1932年に開業したこのあたりでは比較的歴史の古い駅です。東洋大学のキャンパスが近くにあるので、やっぱり学生さんの利用の多い駅ですね。古い駅なので、駅の周りには昔ながらの商店街も残っています」
いまの鶴ケ島駅舎は1983年に完成した橋上駅舎。沿線の宅地化が進んだことを受けて、東上線では12番目に橋上駅にリニューアルされたという。相対式のホームから階段を上ってコンコースに出ると、齢40年の駅舎のコンコースとはちょっと不釣り合いな、きれいな鶴の壁画が描かれていた。実はこれ、東京オリンピックと関係があるのだとか。
「ゴルフ競技の会場になった霞ヶ関カンツリー倶楽部が近くにある関係で、最寄り駅の候補の1つになっていたんです。それで、駅の構内に折り鶴の壁画をあしらって。結果的に会場へのシャトルバスは川越発着になって鶴ケ島駅は外れてしまい、さらに無観客になっちゃったんですけどね。折り鶴の壁画が、それを物語っているんです」(石田駅長)
歴史ある鶴ケ島駅と対照的
そして昔ながらの雰囲気を残す鶴ケ島駅とは正反対ともいうべき雰囲気を持っているのが、若葉駅だ。若葉駅は1979年に開業した比較的新しい駅。ただ、目下坂戸駅管区内ではいちばんの乗降客数を誇っているという。
駅周辺には開業に前後して誕生した団地群に加えて戸建て住宅の集まるエリア、そして新しいマンションがいまも続々と建てられている最中だ。駅の西側には巨大なスーパーマーケット・ヤオコーが鎮座し、東側に出れば駅前広場の交差点を渡った先に大型商業施設の「ワカバウォーク」が待ち受ける。周辺の大学に通う学生たちも、このあたりに暮らしている人たちも、みながとりあえずここにやってくる――。若葉駅はそうした町の玄関口になっている。
「最初はほんとうに何もなかった駅なんですよ。昔は陸軍の坂戸飛行場があって、戦後それがなくなって、何もないところに公団の団地と工業団地がセットでできて。それが若葉の町のはじまりです。駅名は、団地の名前に合わせて若葉台にという案もあったのですが、京王線に若葉台駅がすでにあったので、若葉駅になりました」(石田駅長)
何もなかった地に生まれた若葉の町。その発展は近年になってもめざましい。駅周辺の土地を東武グループが開発しており、現在も分譲マンションをさらに1棟建設中だ。
「このマンションを建てているあたりですが、実は昔フィールドアスレチックがあったんですよ。結構広くてですね、このあたりに住んでいた人は遠足とかで行ったんじゃないですか」(石田駅長)
そのアスレチックとは「東武・若葉フィールドアスレチックの森」といい、2万5000㎡を超える広さを持っていた。バブルの最中の1989年にオープン。本格的な開発を進めるまでの間の一時的な土地利用といった類いのものだったのだろう。それがいつしか閉じられて、跡地がめざましい発展の中心になっているというわけだ。
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