少子高齢化によって、消費力という意味でも世界の中で日本は位置を失っています。でも、マクロ的な人口構成というのは短期的には解決できません。ですから、せめて産業が生まれる力、知的創造の拠点として日本が隆々と発展することを考えたときに、教育がやはり重要になる。遠回りなようですが、それしかないと思うのです。
「間違えない達人」だけではダメ
――今の日本の教育では足りないことがある、と。
資源がない日本にとって、いちばん大きいのはやはり人材ですよね。戦後、日本はいわゆる「間違えない達人」を大量生産する教育を行ってきました。それも、加工貿易立国のときは機能していたと思います。とにかく大量生産して、競争力のある価格で世界にという時代にはね。
私はそのときの政府の判断としては非常に賢いと思うけれど、現在までその枠組みのままで、ずっと教育をしてきてしまっている。今後の日本は、新しい創造、新しい問題の解決といったハイエンドな世界で競争していかなければなりません。つまり、単純に高品質のものを低コストで大量生産できます、ということが日本の競争力の源泉ではなく、新しい付加価値をどうやって創造するかということだと思います。
いずれにしても、日本で今、求められている人材像と、実際に作っている人材が違いすぎます。じゃあ、この教育をどう抜本的に変えるのか、と考えたときに、幅広く考えるのもいいけれど、けっこういいモデルがあると思った。それがプログラミング教育だったんですね。
――プログラミング教育というと、世間的にはまだまだニッチな教育という印象があるかもしれません。南場さんは、いったい何を目指すのでしょうか。
子どもたち全員をプログラマーにしたいわけではありません。ただ、ある程度、ITとかプログラミングの素養を持っていて、それがあると何ができるのかと考えられることが、今後、とても重要だと思っています。伝統的な企業の人たちは、よく、そういう企業とうちのようなITの新興企業の間には大きな川が流れていて、そこに橋を架けなきゃいけないんだよねって言うんだけど、それでは全然、間に合わない。
――プログラミング教育のいい点は?
答えがひとつではないということがわかるのは、いい点ですね。また、こんなことができるんだというプロセスそのものが教育であり、正しい答えを探し当てる教育とはまったく違います。そう言うと、プログラミングではなくて、図画工作でもいいじゃないの?と言う人がいるかもしれませんが、図画工作ってみんなそこまで本気でやりませんよね(笑)。「もう少し図画工作ができたら、医療改革ができるね」ということにはならない。
プログラミングは、すべてのモノのベースというか、必須のもの。それでいて、それぞれの創造力や作りたいという意思、周りの人と共有したいという気持ちの醸成など、日本が弱いところを強化してくれると思います。「何を作ったか?」が評価されるような社会になってほしい。
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