「宮沢賢治」が生前ほとんど評価されなかった背景 堀辰雄の小説『風立ちぬ』についても解説

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宮沢賢治は大正文学の爛熟と駘蕩の時代から昭和前期の文学の混沌への端境期に、東北の片隅で生まれた小さな種だった。しかしこの種は死後、美しい大輪の花を咲かせることになる。

一方、宮沢賢治は、のちに満州国建設にも深く関わる国柱会に心酔していた。もしもあと数年、賢治が生きていたら、戦争を賛美する醜い詩を書いていたかもしれない。その点では、賢治はよき時代を生きた。

風景描写は比類がないほどに美しい「堀辰雄」

『風立ちぬ』 (新潮文庫)
堀辰雄 ほり・たつお(1904〜1953)
生のはかなさから生まれる美しい風景         
『風立ちぬ』

スタジオジブリが同名の長編アニメを創ったので、この題名は若い世代にも広く知られるところとなった。宮崎アニメは、この小説を背景にしながら、作者堀辰雄と、零戦の設計者堀越二郎の前半生を重ね合わせ、戦争と科学技術の葛藤や相克を描く複雑な構造になっている。

一方、小説『風立ちぬ』には戦争の影はほとんど見られない。発表は1936年〜1938年。

小林多喜二のような立場をとる小説家は作品の発表さえ許されず、谷崎のように超然とするか、岸田國士のように戦争協力に走るか以外に文学者の選択肢はなかった。1937年、林芙美子は南京攻略戦に新聞特派員として随行。1938年には火野葦平の従軍小説『麦と兵隊』がベストセラーとなる。

一方、本作『風立ちぬ』は若い男女の出会いから死別までの短い時間が描かれている。その主要な部分は高原のサナトリウムで療養を続ける婚約者と、それを看病する「私」の淡々とした描写やたわいもない会話によって構成される。しかしその描写が淡々としていればいるほど、限りある生を懸命に生きようとする2人の姿が浮き彫りになってくる。

「いや、お前のことをもっともっと考えたいんだ……」私はそのとき咄嗟に頭に浮んで来た或る小説の漠としたイデエをすぐその場で追い廻し出しながら、独り言のように言い続けた。「おれはお前のことを小説に書こうと思うのだよ。それより他のことは今のおれには考えられそうもないのだ。おれ達がこうしてお互に与え合っているこの幸福、――皆がもう行き止まりだと思っているところから始っているようなこの生の愉しさ、――そう云った誰も知らないような、おれ達だけのものを、おれはもっと確実なものに、もうすこし形をなしたものに置き換えたいのだ。分るだろう?」
(中略)
冬になる。空は拡がり、山々はいよいよ近くなる。その山々の上方だけ、雪雲らしいのがいつまでも動かずにじっとしているようなことがある。そんな朝には山から雪に追われて来るのか、バルコンの上までがいつもはあんまり見かけたことのない小鳥で一ぱいになる。
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