「生活に支障出るほど感情移入」ふかわさんの苦悩 年を重ねるほど周囲の顔色に敏感になっていく

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植物を土に戻すという行為は、僕の日常ではごく自然なことです。いただいたお花も枯れてきたらドライフラワーにして、最終的にゴミ箱には捨てずに家の周りの土に埋めます。道の駅で買ったゆずも、カビが生えて真っ黒になっているんですけど、捨てずに共同生活しています。

(撮影:今井康一)

僕自身、生き物に限らず、モノ全般に対して、情が湧いてしまうというか。感情移入してしまうのが、ある種自分の性質であり、日常生活に支障をきたす部分でもあります。

人間に対しては「もうちょい頑張りなさいよ」

――日常のどのような部分で支障をきたしますか?

あるとき、仕事先の楽屋でちっちゃいクモが飛び跳ねていて、「あ、家から連れてきちゃった」と気づきました。「このクモは果たして新天地で暮らせるだろうか……」と心配になったので、家に連れて帰ろうとしたんですけど、テレビの生放送が控えているのでどうしたものかなと。

これはジャケットのポケットに入れておくしかないなと、小さなクモをポケットに入れたまま1時間生放送に出て、家に連れて帰ったこともありました。

夏は忙しいですよ。道端でひっくり返っているセミを戻してあげるのに。転がって動けないでいるセミを見つけるたびにいちいち戻してあげて、なかなか歩き進められない。もう病に近いです(笑)。

――生き物への愛情が並外れていると言いますか。人間に対してはどうなんでしょうか。

生き物に対しては、ある意味「弱きもの」というか、人が守るべきものだと思いますが、人間に対しては、「もうちょい頑張りなさいよ」と思いますかね。見る対象として、シンプルじゃなくなってしまう。

人の中にも、弱い人はいると思います。ただ、僕自身の「弱い人」に対するイメージは、もしかするとほかの人とは異なるかもしれません。

例えば、いじめをする人――。

もちろん、いじめられている人を一刻も早く救出することが先決です。でも、その後にはいじめる側の人も救わないとダメだなって思うんです。

それは、決していじめを容認するわけじゃなくて、いじめる側の人の心にも苦しみがあるから、そこにも目を向けないといけないよなって思ってしまいます。

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