誤解が多すぎる「ヤングケアラー」の思わぬ実態 支援の第一歩は、多様な声に寄り添うこと

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また、「世話をしている家族がいる」生徒のうち、中学2年生の20.1%、全日制高校2年生の16.6%が「やりたいけれどできていないこと」として、「自分の時間がとれない」ことを挙げている。さらに、「宿題をする時間や勉強する時間がとれない」と回答した生徒の割合は、中学2年生では16.0%、全日制高校2年生においては13.0%であった。これらのデータから、家族の世話をすることが子ども自身の生活の質、さらには進路選択にも影響を及ぼす可能性があることが推察されている。

このような調査結果に加え、2020年3月、埼玉県で全国初のケアラー支援条例が成立したこと等をきっかけに追い風が吹いた。世間の関心の高まりを受けて、国や地方自治体がヤングケアラー支援を加速させ始めたのだ。

ヤングケアラーであるのは「悪いこと」?

ヤングケアラー支援の文脈においては、「子ども時代にケアを担うことは、機会の損失につながる」とも受け取れるメッセージが度々発されてきた。たとえば、前述の厚労省特設HPには、下記のような文言がある。

ヤングケアラーは、年齢等に見合わない重い責任や負担を負うことで、本当なら享受できたはずの、勉強に励む時間、部活に打ち込む時間、将来に思いを巡らせる時間、友人との他愛ない時間……これらの「子どもとしての時間」と引き換えに、家事や家族の世話をしていることがあります。

 

実は、私が祖父の介護を手伝っていた時にも、同じように心配してくれる人がいた。「もったいないよ! 今が人生で一番自由な時期なんだから、自分の成長のために使わなきゃ」と。

私は祖父が亡くなった後、その言葉どおり、自分のための時間を沢山過ごして大人になった。だから今となっては、その大切さがよくわかる。

しかしその一方で、心の中にいるかつての私が「違う」と叫ぶ。あの頃の私は、病床の祖父との日々を肯定したくて、人知れずもがいていたのだ。

祖父は、私の人生の先生だった。例えば、病気が進行するに従い感情を露わにしながら話すようになった祖父を見て、人は身体的な都合に心のあり方を左右されるのだということを知った。

そしてたとえそうであっても、自分にとって祖父が大切な人であるという事実が揺るがないことに驚いた。私は介護の経験を通じて、人がいつか衰えるということに寛容になれたと思う。

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