不登校の子どもに対するケアも、最近ではフリースクールやスクールカウンセラーなどの、外部のプロと連携していこうという機運が高まっています。
こうした動きは、人員不足を起因とした、行きすぎた管理教育を是正するという意味でも歓迎すべきことだと思います。
不登校の子どもの苦しみは、外からは見えにくい
「不登校」という問題をさらに複雑にしているのが、いじめをはじめとして、学校で苦しんでいる子どもの様子が、外からは非常に見えにくいことです。
先生や保護者から見ると、「ある日突然学校に行けなくなった」と感じてしまいますが、子どもは人知れず、長い間苦しんできたというケースがほとんどです。
子どもは私たち大人が思っているよりもっと大人のことをよく見ていて、できるだけ私たちを悲しませないようにしようとけなげにふるまうケースが多く、家庭や学校で親や先生が子どもを見ていると、とても楽しそうで何の問題もないように見えるほどです。
本稿を読んでくださっている方は大人で、これまでいろいろな経験をされてきたからこそ、「学校があなたの居場所のすべてではない」ことを理解されていると思います。ですが、その認識は大人だからこそ可能なのであって、ほとんどの子どもは違います。
子どもにとっては、「学校」と「家庭」、「地域社会」の3つが、知っている「世界のすべて」なのです。
子どもは、大人のように自分の世界を自分の力で広げていくことはできません。いくら、周りの大人が「チャイ着運動は無意味だ」「黙食はかえって健康によくない」などと学校の姿勢に反対しても、子どもはとまどうだけです。なぜなら、実際に子どもたちが生きている世界で「チャイ着運動」や「黙食」が行われていて、彼らはそれらを「よいもの」だと信じているからです。
子どもは基本的に、自分自身がやらされていることを自分で判断して否定するものを持ち合わせていません。周囲からの愛を求めている子どもたちにとって、学校の教えを否定することは、自分自身の存在否定にさえつながりかねないからです。
これまで、現在の学校教育が、学校で苦しむ子どもの背景になっているという話をしてきました。それに拍車をかけているのが、親たちの「不登校はよくないことだ」「学校にはどれだけ苦しくても通うべきだ」という考えです。
子どもは親に従うしかなく、文章にすると異常だとしか思えない学校のルールやきまりに対して、顔色ひとつ変えずに気丈にふるまい、苦しみ続けている子どもたちが多くいます。
子どもが突然「学校に行きたくない」と言うのは、これまで積み重なってきたがまんが何かの拍子に爆発して、体がいうことを聞かなくなるからです。
親の「教育」や「学校」に対する過剰な期待感や信頼も、目の前の子どもの様子を見えにくくさせている要因の一つです。
例えば、「チャイ着運動」が子どもの自立性、計画性をはぐくむためによいと学校の先生に言われたとしたら親は反論できるでしょうか? あるいは、「黙食」が子どもの偏食を改善させるために効果があると言われたら、いやだと思っている子どもに対して、どんな声をかけますか?
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