また、コロナ禍で浸透した「黙食」が、実はコロナ前から導入されていたクラスも存在しました。
いまは感染防止対策というたてまえがありますが、コロナ前からとり入れられているクラスでは、「黙って食べることで『食べ残し』が少なくなる」という理由がありました。
さらに、クラスごとに「何グラム食べ残したか」を競う学年もあります。毎日、クラス対抗で食べ残しのグラム数を発表するのですが、偏食の子どもはどうなるのでしょうか? 実際に、この活動をとり入れている学校に通う子どもで、「偏食の自分がいるせいで、いつも私のクラスが負けてしまう」とつらくなり、不登校になってしまったケースもあります。
確かに、栄養バランスがととのえられた給食を食べ残さないほうが健康にもよいでしょう。ですが、食べ残しを「ゼロ」にするために、子どもたちを「競争」という同調圧力で縛り上げる必要はあるのでしょうか?
そうした、子どもの心身の健康はまったく考慮されないのが残念でなりません。
学校だけでは不登校支援に限界も
もちろん、学校の先生の中にも不登校の子どもが増え続けていることに問題意識を持ち、実際に対応している先生もたくさんいますが、仕事に忙殺されて不登校に向き合えない先生がいるのも事実です。
小学校、中学校の教員は、生徒の学力向上はもちろん、学習に対する態度や、生活への姿勢、人間関係の指導、クラス行事の運営など、やるべきことがとても多いのです。
最近では、学校の先生が子どもたち同士のトラブルを指導しきれなくなっている場面も散見されます。
例えば、友達同士でのケンカがあったとして、双方の言い分をしっかりと聞き、関係改善に向かわせる「ヒアリング」がしきれていないケースです。
ケンカをしてしまった友達との関係性がなぜこじれたのか、これまでお互いがどういう会話を交わし合っていたのかを聞くことをしない。平たく言えば、「子どもたちの関係性」を無視して、無理やり謝らせるという対応が起きているのです。そうなると、「私にも言いたいことがあったのになんで先生は聞いてくれないんだろう……」と子どもの心にしこりが残ってしまい、心がどんどん閉じてしまいます。
大人でもそうですが、子どもたち同士のケンカも、どちらかが100%まちがっていることはありえないはずです。ですから、双方の話をよく聞き、お互いの気持ちにできるだけわだかまりが残らないようおさめてあげるのが指導者の役割のはずです。
学校の先生は、いじめや不登校という問題を解決する「プロ」ではなく、あくまでも、30〜40人の子どもが学ぶクラスを運営するのが本職だということも理解しておかなければなりません。
一方で、ポジティブな要素もあります。それは、若い先生を中心に、「教員の働き方改革」や「教員のQOL(Quality of Life:人生の質)向上」に目を向け始めたことです。部活動をはじめとして、民間の団体にアウトソーシングしようとする動きも出てきています。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら