国鉄に対抗「起死回生策」、福井鉄道200形の記憶 路面と郊外直結の画期的電車、保存へ修復進む
現在のような低床式の路面電車がまだ存在しなかった時代、福井鉄道(福鉄)の200形電車は福井市内の路面区間に入ると、郊外型の大型高床式電車でありながら2段式のタラップを「パタン」と降ろして、乗客は「よっこらしょ」と言いながら乗り降りした。
福鉄200形は、昭和30年代、鉄道が華やかだった時代に郊外区間と路面区間を直通運転する画期的な車両として登場し、全国の鉄道ファンに親しまれてきた。2017年に引退したが、多くの人の熱意によりクラウドファンディングによって保存に向けた整備が進んでいる。
筆者は福鉄の本社のある武生市(現・越前市)の出身で、幼いころから福鉄と共に成長してきた。鉄道好きとなったのも福鉄の歴代の電車、沿線による影響が大きい。今回は福鉄のこれまでと、200形の誕生から廃車、そして修復への過程をたどってみたい。
かつては3路線あった福井鉄道
福鉄は現在、越前武生駅から福井市の田原町駅までの鉄道線と支線の「駅前通り」を経て福井駅までを結ぶ軌道線からなる福武線を有し、営業キロは21.5kmある。かつてはこのほかに南越線(社武生―戸ノ口間14.3km)、鯖浦(せいほ)線(鯖江―織田間19.5km)があった。
その歴史は、明治末の1912年に創業した南越線の前身である「武岡軽便鉄道」に始まる。今の福武線の前身となる「福武電気鉄道」は1921年に設立された。武岡軽便鉄道はその後「南越鉄道」に社名を改め、1941年に福武電気鉄道と合併。さらに、福武電気鉄道と鯖浦線を運行していた「鯖浦電気鉄道」が終戦直前の1945年8月1日に合併し、福井鉄道が発足した。
筆者の個人的な関わり合いでいえば、南越線には父方の実家、鯖浦線には母方の実家、福武線には叔母の実家と、3つの路線すべてに縁があった。幼年期から小学生時代まで、村祭りや法事などでひんぱんに3路線を使っていた。
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