国鉄に対抗「起死回生策」、福井鉄道200形の記憶 路面と郊外直結の画期的電車、保存へ修復進む

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とくに南越線は思い出も多く、父に連れられて実家に行くとき「軽便で行こう」と言っていたのを記憶している。南越線は前述の通り武岡軽便鉄道として設立され、当初は762mmゲージの軽便鉄道としてスタートした。その名残りで、父や実家の長老たちは「ケーベン」と呼んでいたのである。同線は1981年に全線が廃止された。

鯖浦線は国鉄鯖江駅―織田間を結ぶ路線で、もともと越前海岸の四ケ浦まで延ばす計画があったため路線名に「浦」が付いていた。途中の水落駅では福武線とアンダークロスして連絡していた。鯖江―水落間、西田中―織田間の廃止を経て1973年に全線が廃止され、結局四ケ浦に延伸されることはなかった。

鯖浦線日野川橋梁
鯖浦線の日野川橋梁を渡る電車(写真:福井鉄道)

廃止されてしまったこれらの路線だが、近年、福井県の鉄道関係者と懇談したとき、南越線は北陸新幹線の新駅「越前たけふ駅」の鉄道アプローチになったのでは……との話が出たことを思い出した。もし南越線が存続していれば、同線の途中駅だった北村駅あたりから越前たけふ駅まで約2km延伸すれば、課題となっている交通アクセスが便利になるのでは? と、筆者も思ったことだ。

北陸本線に対抗「起死回生の車両」

そして、今も昔も福鉄の主力路線となっているのが福武線だ。近年は低床タイプの車両を導入し、さらに「えちぜん鉄道」との相互乗り入れや福井駅延伸などサービスを拡大して利用者数は順調に推移している。

その福武線急行用電車として1960年に登場したのが200形電車であった。同線は武生―福井間で国鉄北陸本線と並行しており乗客獲得にしのぎを削っていたが、1959年の北陸線が全線電化されるにあたり、国鉄に対抗すべく「福鉄起死回生の車両」としてデビューした。

200形は福鉄完全オリジナルの車両で、3編成(201号、202号、203号)が製造された。前面2枚窓の”湘南型”と呼ばれるスタイルや、”WN方式歯車型可とう継手”という駆動装置などとともに、車内は当時国鉄の最新鋭だった急行「ゆのくに」や「立山」の471系電車とほぼ同様のボックスシートを設置。一方で急行料金は不要、福井市内に入れば軌道線で細かく街中をネットするというサービスで、国鉄と激しく乗客獲得競争を繰り広げた。

200形塗装変更後
路面を走る200形。後年はクリーム色に青帯を入れた塗装になった(撮影:南正時)

2車体連接の200形が福井市内の路面区間を堂々と走る姿、そして電停で折り畳み式2段ステップを降ろして乗客が乗り降りする姿(2018年12月2日付記事「路面電車と一味違う『道路を走る列車』の記憶」参照)は全国の鉄道ファンの心を動かした。当時中学生だった筆者はさっそうと走る新型200形の姿に涙したほどで、普通電車しか止まらない親戚の最寄り駅へも、わざわざ一旦200形の急行に乗って各停に乗り換えて行ったものだった。

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