路面電車と一味違う「道路を走る列車」の記憶 特急やディーゼルカーが路上を堂々と快走
200形など郊外電車タイプの大型車は、床の高さを一般の鉄道用の高いホームに合わせている。このため、路面区間に入ると停留所ではドアからステップが自動的に降りて乗客が乗り降りする光景が日常的に繰り広げられていた。
福鉄も近年は路面電車タイプの車両が主力となり、2013年からは新型の超低床車両「フクラム」F1000形が導入され、路線も福井駅へ延伸。さらに2016年には西川一誠知事の第一期(2003年)マニフェストであった「えちぜん鉄道と福武線の相互乗り入れ」が実現した。今では両線の新型車両が往来し、市内線を通じて福井の鉄道は大きく発展を遂げている。
北陸地方から新潟県にかけての各県は私鉄が発達しており、福井以外にも郊外電車が道路上を走る路線があった。新潟県では、現在は県内の大手バス会社として知られる新潟交通が鉄道を運行していた。同線は新潟市中心部の県庁前駅(1985年の県庁移転により「白山前」に改称)から燕市の燕駅までの路線で、その一部である県庁前―東関屋間の約2.2kmが路面区間だった。狭い道路上を元小田急の電車などが走っていた。
沿線住民からは緑と黄色に塗り分けた車体の色から「かぼちゃ電車」や「電鉄」と呼ばれて親しまれていたが、利用者の減少に加え大型の電車が狭い路上を走るため騒音や振動などの問題もあり、路面区間は1992年3月に廃止。そして1999年4月5日には全線が廃止されてしまった。
大正生まれの「直通急行」
このほか、今では姿を消した同様の路線をたどってみたい。
■名鉄岐阜市内線
名古屋地区の大手私鉄である名鉄(名古屋鉄道)にもかつては路面電車の路線があった。岐阜市内の路面電車であった「岐阜市内線」には、揖斐、谷汲方面へと延びる鉄道線の電車が乗り入れていた。
ここで有名だったのが、前身である美濃電気軌道が大正時代に導入したモ510形・モ520形電車で、揖斐線直通急行として活躍していた。前面に5枚の窓が並ぶ丸い先頭部が特徴の電車が、柳ケ瀬の交差点にある急カーブで連結面を「くの字」のようにして曲がる姿は迫力満点だった。
しかし、行政も市民も市内電車に対しては消極的で、廃止に当たってはさほど大きな反対もなく、2005年4月1日に市内線と揖斐線、谷汲線すべてが廃止された。
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