北条政子「部下を動かす政治センス」のスゴさ 「頼朝公のご恩は山よりも高く海よりも深い」
さて『吾妻鏡』や『六代勝事記(ろくだいしょうじき)』などの歴史書によれば、後鳥羽の北条義時追討令を知って動揺する御家人たちを前に、北条政子は演説を行ったという。両書とも、政子の演説内容はだいたい同じである。『吾妻鏡』所収の演説を以下に訳す。
皆、心を1つにして聞きなさい。これが私の最後の言葉です。亡き頼朝公が朝廷に刃向かう平氏を征伐し、鎌倉幕府を開いてから、官位といい俸禄といい、御家人に与えた御恩は、すでに山よりも高く海よりも深いものです。恩に報いようというあなたたち御家人の気持ちがどうして浅いことがあるでしょうか。ところが今、悪い考えをもつ臣下にだまされた後鳥羽上皇が、誤った命令を出されました。名誉を重んじる御家人は、早く藤原秀康・三浦胤義たちを討ちとり、三代にわたる将軍(頼朝・頼家・実朝)が残してくださった幕府を守るべきです。ただし後鳥羽上皇に味方したいと思う者は、今ここで申し出なさい──
政子の政治センス
つまり政子は、頼朝から受けた御恩の大きさを御家人たちに思いださせ、幕府への奉公を説いたのである。
本来、御恩と奉公の関係とは、将軍と御家人という個人対個人の関係を指していた。そうすると、源氏将軍家が断絶した時点で、御恩と奉公の関係は消滅してしまうことになる。だからこそ後鳥羽上皇は、源氏将軍家の断絶を幕府打倒のチャンスと認識したのである。
だが政子は、将軍から受けた御恩を「将軍に返す」環境を絶たれていた御家人たちに、代わりに「幕府に返す」よう訴えた。現代風に言えば「創業者一族はいなくなったが、従業員は会社のために一生懸命働くように」といったところだろうか。
政子は、頼朝という特定個人への奉公を組織への奉公にすりかえた。この辺りの政治センスはさすがと言うほかない。
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