「奨学金600万円」運に見放された56歳彼の諦念 「お金には困っているけど、後悔はないんです」

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大学卒業後は、サラリーマンの道を選んだ奥山さん。しかし、社会人生活を始めて5年目に、阪神・淡路大震災が発生。これが人生を大きく変える出来事となった。

「復興ボランティアに従事するうちに、『人生いつどうなるかわからん。やっぱ、好きなことをして生きたほうが絶対ええよな』と考えるようになり、国立の大学院に進む決意をしました。そこで、また奨学金を借りるわけですが、修士の1年目は前年度の社会人時代の収入があったので、申請が通らず。そのため、修士の残り1年と、博士課程の3年を、奨学金のお世話になったんです」

こうして第一種奨学金を月に11万〜12万円程度、4年間にわたって借りた奥山さん。最初に入学した大学時代を足すと、貸与総額は約600万円という数字になった。

ところで、奥山さんには社会人時代の蓄えが多少はあったそうだが、当時から「オーバードクター(現在のポスドク)」問題は叫ばれていたはず。その辺に不安はなかったのだろうか?

「僕が大学院に進んだ90年代の初頭に大学院拡充政策が始まったんです。要は『大学院の定員と、大学院生を増やしなさい』というお達しが当時の文部省からあって、それを受けて新しい研究科が新設されたり、『社会人も受け入れよか』という機運が盛り上がって、私はその政策に乗っかったわけですね」

国の後押しもあり、安定を捨て学問の道を選んだ奥山さん。ただ、この頃は「どうやって奨学金を返すか」という明確なビジョンは見えていなかったという。

大学院を辞めることになり…

こうして、奨学金を借りながら新たな人生を歩み始めた奥山さん。しかし、博士号を獲得するには相当な時間がかかった。

「まず2年間、博士浪人して博士課程に進んだのですけども、その大学院を辞めることになりました。指導教官が学内の選挙で負けて退職してしまい、博士論文を最後まで読んでくれる人がいなくなってしまったんです。

その結果、別の大学院に入り直すことになったんですけど、指導教官から『実績をつけてこい』と言われて海外の大学で指導したこともあって、トータルで博士過程には10年いました。それでも、海外の大学での収入と、妻の稼ぎで生活はなんとかなっていました」

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