恵まれている日本男性が「不幸に見える」根本原因 日本の男性たちが置かれた状況は大きく変化した

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それと同時に、家庭内での男女の意識の差も際立っている。ここでもざっくりと述べるならば、戦後日本の男性たちのあるべき働き方や生き方は、日本型の雇用システム(終身雇用、年功序列、企業内福祉など)のもと、1つの会社に帰属して、生活の多くを捧げて働き、給与所得によって家族(妻、子ども)を養っていくものとされてきた。

日本では1980年代に、他の先進諸国よりも強力な「男性稼ぎ主中心型」の生活保障システムが完成したと言われる(大沢真理『現代日本の生活保障システム──座標とゆくえ』岩波書店、2007年)。

確かにこのシステムは雇用と生活の長期安定をもたらしたのだろう。しかしそれらの安定は、長時間労働、転勤・転属のリスク、無限定な職務内容の重荷、などと引き換えのものだった。

男性正社員を守るためのバッファだったパート労働者

しかもこのシステムにおいては、「夫は仕事+妻は家庭で主婦あるいはパート労働」という性別役割分業(妻による家事・育児・介護などのサポート)が大前提とされる。1985年に男女雇用機会均等法が制定され、女性差別撤廃条約を批准したにもかかわらず、である。

そこでは「男性会社員+専業(パート)主婦+子ども」という家族像が理想的なモデルとされた。そして個人の所得・生活保障を(国家による公的保障よりも)「会社」+「家族」によって支えてきた面がある(たとえばシングル世帯、共働き世帯は、税制・社会保障制度の面で不利)。

このシステムが一般化したのは、じつは、戦後の特定の時期のことにすぎない。それは決して普遍的でも当たり前でもなかった。

戦後の日本は、景気変動や経済危機などのリスクを、非正規のパートタイム労働者へと構造的に押し付けることで乗りきってきた。パート労働者/主婦層が、裏面からいえば、男性正社員たちを守るためのバッファ(緩衝材)になってきたのだ(たとえば、ヘルパー事業所などの介護報酬はパート主婦を前提としており、介護労働者の低賃金問題につながっている)。

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