日本を貧しくしている「安売りだけ愛する人たち」 「安い=善」という呪縛から解放されよ

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

昨今、「値上げ」「物価高騰」についてのニュースを見ない日はない。スーパーで主婦がインタビューに答え「物価が上がって困る」「もっと節約しなければ」などと答えているのを見て、「やっぱり値上げは悪なんだな」と思ってしまう人もいるだろう。

ここで理解しておいてほしいことは、「消費者は2つの顔を持っている」ということだ。例えば、インタビューで「生活費を節約しなきゃ」と答えて、実際に少しでも安い日用品を購入しようとしている主婦が、一方で趣味のクラフトには進んで高額な材料を使っていたり、はまっている韓流の「推し活」には大いにつぎ込んでいたりする。これが、現在の消費者像だ。

つまり、ここでいう「節約」とは、「予算配分」の話なのだ。限られた予算の中で、配分したいものにお金をより配分するために、どうでもいいものは切り詰める。

この2つの顔はスイッチを切り替えるように、1人の人間の中で一瞬にて切り替わる。だから、インタビューを受けた際には節約のほうのスイッチが入り、「生活費を節約しなきゃ」と答えるのだ。

誰だって「安いほうがうれしい」という盲点

同様に、世論調査の結果を見る際にも、少し気をつけたほうがいい。先日も、「価格上昇で生活が苦しくなったか」「物価高を容認できるか」という世論調査が行われており、「苦しくなった」「容認できない」という結果が過半数に達していたが、そもそも「物価高を容認できるか」と聞かれた瞬間、節約のスイッチが入る。

別の観点からお話しすると、「支払い」というのは顧客にとってつねに「ペイン」(痛み)である。この痛みは誰にでも発生する。ウォーレン・バフェットやイーロン・マスクほどの大富豪でも、支払いは少ないほうが痛みは少ない。安いほうがうれしいに決まっている。

「値段が高すぎる」「安くしてほしい」という世間や顧客の声は聞くべきではあるけれど、それを真に受けすぎないほうがいいということだ。

この価格上昇局面において、おそらく一時的に「安売り」がもてはやされることになるだろう。実際、大手スーパーのプライベートブランドに人気が集まり、ディスカウントストアに人があふれているなどのニュースも見かける。

次ページそれでも「安さの土俵」で戦いますか?
関連記事
トピックボードAD
政治・経済の人気記事