宗教がわかってない人は「神様」の意味を知らない 証拠がなくても「いる」と思う、それが「信じる」

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なおキリスト教は、その結果、神さまがいると「決めた」人々の集まりなので、彼らに向かって「神さまはいないよ」と主張したところでムダ。同じように、神さまがいないと「決めた」人たちに対してキリスト教徒が「神さまはいるよ」と主張したところで、それもやはりムダ。

考え方の問題であり、極論をいえば、それは日常の小さな問題(プロレスは「勝負」か「演技」か、なども含む)、あるいは生き方そのものにもあてはまる問題なのかもしれない。

人間は、なぜ不完全なのですか

<Q 神さまが造ったのに、人間はなぜ不完全なのですか
罪を犯さず、地上で平和に暮らせるように造ればよかったではないですか
それをとがめて、人間を裁くのは、話が違いませんか(64ページより)>

ここで橋爪氏はまず、「理屈(屁理屈)をこねてみます」と前置きし、神さまの“あり方”について論じている。

神さまは全知全能なので、なんでもできるのだと。ただし、神さまにもできないことがあるのだという。

<第一に、死ぬことができません。神さまは、永遠に生きているので、死にたくても死ねません。
第二に、自分と同じものを造ることができません。自分と同じ完全な存在をもうひとつ造ったとすると、神さまが二人になってしまいます。一神教でなくなります。
神さまのほかに、イエス・キリストがいます。これは、造ったのではなく「生んだ」のです。そして、二つになったけれども実はひとつ(だから、神さまがふたりではない)ということになっています。
よって、神さまが造ることができるのは、自分より劣った、完全でないものです。
神さまは、人間を、自分に似せてつくりました。人間は、それなりによく出来ているのです。でも、神さまに比べると不完全。これは仕方がないのです。(65ページより)>
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