宗教がわかってない人は「神様」の意味を知らない 証拠がなくても「いる」と思う、それが「信じる」

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しかし、人間は本当に不完全なのだろうか?

ここで確認しておかなければならないのは、動物のあり方だ。それぞれのかたちで、それぞれの性質をもって造られた動物は、本能(神の命令)によって行動しているため、神に背かないのだという。当然、罪を犯すこともできない。

一方、人間は動物とは異なり、知恵があって、ことばを持っている。知恵とことばは人間の交流を深め、結束を固め、人間の幸福の条件を整える。だが同時にそれは、争いと悪行の原因でもある。

人間は神に背く

<人間が、ほかの人間に暴力をふるうのは、神の許可をえてのことではありません。
人間は、神に背きます。人間は、神の意志に反した行動をとります。それは人間が、自由意志を与えられているからです。
自由意志。これは、神が人間に与えた恵みであり、特権です。ではこの自由は、神の支配が及ばない場所なのか。もし及ばないのだとすれば、神は、人間が神に背き、自由にふるまったとしても、なすすべがないことになります。
神はなぜ、人間をこのように造ったのでしょう。(66〜67ページより)>

もしも地上に動物しか居なかったら、誰も神に背かないだろう。しかし動物には、自分が神に従っているという自覚はなく、ただ自然に生きているにすぎない。

それに対し、神を知ることができ、神の意志を理解し、自分の意志をも理解するのが人間だ。しかも神の意志と人間の意思は別ものである。だから、神に背くことができるというのだ。そしてそれは、神に従うことができ、神を信じることができ、神を理解することができる、ということなのだと橋爪氏はいう。

<これは、動物よりもずっと深い交流のかたちです。神と、神が造った世界との、ずっと進んだ結びつきです。
人間は、完全ではない。人間は、神ではない。そこで人間は、神を必要とします。自分が神に造られたことを理解し、この世界に命を与えられ生かされていることを、神の恵と感謝することができます。(67ページより)>
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