和田秀樹「老いとは同世代に障害者が増えること」 体が不自由でも周囲に頼って人生を楽しんでいい

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わたしたちはずっと長い間、年齢を重ねるごとに成長してきました。身長が伸びて身体が大きくなり、筋肉がついて体力も増し、いろいろな知識や経験を蓄えることで思考力も深まってきました。多少の個人差はありますが、年齢を重ねるごとに成長してきたのは事実だと思います。

でもそれも、ある年代でピークを迎えました。身体や体力的なものなら20代後半ぐらいでしょうか、頭脳はいくつになっても衰え知らずのようですが、記憶力とか創造性とか、あるいは好奇心や意欲といったものまで含めて考えると、やはりある年代がピークになってくると思います。

でも40代50代のころまでは、ピークを過ぎてもまだ一定のレベルを保ってきました。自分より若い世代とも対等にやり取りできたのです。

60代を過ぎると、さすがにそれも難しくなってきます。若い世代と対等どころか、はっきりと見劣りするようになってきます。さらに歳を取るとどうなるでしょうか。

同じ世代の中に格差が生まれる

同世代であってもどんどん差がついてきます。異なる世代との格差ではなく、同じ世代の中に格差が生まれてくるのです。自由に歩き回れる人、杖がなければ歩けない人、杖をついても歩けない人に分かれてきます。脚だけでなく、目も耳も同じです。まったく衰えない人がいるかと思えば、日常生活にも不便を感じる人もいます。

老いは個人差をどんどん広げていきます。同じ70代、80代でも「なぜこんなに違うのか」とあきれるくらい個人差が出てきます。問題は、自分がどちらになるかということです。障害者にならないための日常生活の心がけとか生き方や暮らし方はここまでにも書いてきましたが、脳梗塞のような突然の発症もあります。まさかの転倒や事故が引き金になって一気に衰弱することもあります。

どんなに心がけても望んだ生活の質を保てないようになることは誰にでもあり得るのです。ではどうしようもないのでしょうか? そうなったらそのときは諦めるしかないのでしょうか?

その一つの答えが、いま紹介した男性のエピソードにあるような気がします。つまり、たとえ自分が不自由な身体になったとしても、頼れることは周囲に頼って人生を楽しんでいいのです。

そのための補助として介護保険制度があります。あるいは地域やボランティアの人たちが支えてくれるさまざまな行事やイベントがあります。そういったものに対して「恥をさらしたくない」とか「他人の世話にはなりたくない」と拒んだり嫌う人がときどきいます。

狭い了見ではないでしょうか。繰り返しになりますが、老いるということは同世代の中に障害者の割合が増えてくるということなのです。いまはどんなに元気でも1年後はわかりません。どんなに元気な高齢者でも、やがては歩行も覚束(おぼつか)ない障害者になってしまいます。

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