東大調査報告書で考える「成功者による差別」の芽 他人にきつく「自己責任論」をふりかざすのは誰か

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東京大学藤井輝夫総長は今年、入学式の祝辞で「ケア」について次のように述べている。

「ケア」に関して、政治学者のジョアン・トロントは、Who cares?という秀逸なタイトルの本を著しています。Who cares?は、直訳すれば「ケアするのは誰か」という問いかけですが、英語圏の日常会話では多くの場合「知ったことか」という切り捨ての意味で用いられます。
「そんなことは知らない、ケアなどするものか」という姿勢が、尊大なマジョリティやエリートのなかに蔓延しがちであること、「自分たちが社会から自立して存在しているのだ」と考えるような危険なものであることを、トロントは批判的に指摘しています。

偏差値至上主義、能力主義は差別的言動につながる

近年、偏差値至上主義、能力主義信仰は、知らず知らずのうちに差別的言動につながることも指摘されている。

『日常生活に埋め込まれたマイクロアグレッション』では、ある人が集団に属している事を理由として、日常的な何気ないやりとりの一瞬の中で受ける中傷的メッセージのことを「マイクロアグレッション」と呼ぶ。

この書籍の中で、著者は「人種/性別なんか関係ないよね」という風に、そこに差異があるにもかかわらず目を向けないことや、すべてのグループは成功する機会を平等に与えられていて、成功も失敗も能力や努力等個人の特性の結果とみなす能力主義信仰も、マイクロアグレッションの1分類(であるマイクロインバリデーション)であると指摘している。

この数年前、2019年の東大入学式では、上野千鶴子名誉教授も次のように挨拶している。

あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。
世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひとたちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。
あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。
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