ただし、「フロー」で戦う戦争には、兵器の入手先の国や企業などに、戦争を管理されるリスクが存在する。また、「フロー」とは、兵站や、産業基盤そのものであるが、有事の際、戦う体制が整う前に、国内の士気が萎え、戦うより降伏を求める勢力が出現して、国内基盤が侵食される可能性もある。また、兵站が確実に確保される保証はない。海洋国家である日本にとって、これは極めて大きな課題になる。
第2に、領土をめぐる、ある意味で伝統的な戦争は健在であり、その方法についても大きな変化はないということである。つまり、領土をめぐる紛争では、伝統的な軍隊の役割は変わっていない。ただ、もし土地の確保が戦争の本質なのであれば、その後の占領統治を円滑に実施する方法について、ソ連やアメリカなどの大国の過去の失敗から何を教訓として学ぶかという問題が残る。
戦争後の住民の生活を考慮する必要がある「占領と併合を目指す戦争」と、懲罰的に軍事力を行使する「政権交代を目指す戦争」とでは、戦い方が異なる。占領と併合を目指す戦争では、マンパワーが重要な意味を持つ。後者では、エアパワーが重要とされる場合が多い。そして、インド太平洋地域における紛争がどのような性格を持つか考えると、これは日本として真剣に検討する必要がある課題になるだろう。
戦争の終わりと国際主義の復活
ウクライナ戦争は、ウクライナはもちろんのこと、国際社会に深い傷を負わせた。ロシアの拡張主義的政策に対する警戒感が「再び」浮上することになり、周辺国が安心を取り戻すまでには多くの時間が必要になる。さらに、ロシア軍が行った残虐行為は、責任者の処罰なしに、問題を決着させることはできないだろう。そして、今回の戦争の終わり方次第だが、ロシア周辺国の多くは、NATOに安全保障を求め、欧州の二分化は加速する。
つまり、国際社会はこれまでの常識が通用しない世界になり、秩序を再構築する必要が生まれている。それを国際条約交渉などの国際主義的政策が機能不全に陥っている中で行わなければならない点に、現在の国際社会の課題がある。
振り返ると、アメリカがソ連との間で軍備管理条約の交渉を実施する際、「信頼するが、検証する(trust but verify)」を原則として堅持することを訴え、まったく信用できない敵対勢力との交渉という難しい課題に取り組み、徐々にアメリカ内あるいは国際社会の信頼を得ていった。
であるとすれば、ウクライナ戦争後の国際主義の再確立において、どのような問題を出発点とし、どのような原則を用い、国際主義の復興を図ればよいのだろうか。われわれは、この戦争が戦われている最中に、戦後を展望しながら、国際主義のあり方を検討する必要があるのである。
(佐藤丙午/拓殖大学教授)
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