対馬は山林が全体の89パーセントを占める。その山々の多くは海岸線まで迫っている。間近に迫るその急峻な山は畏怖の対象だったに違いない。大きく割れた岩の間に整った形の山が見える。その山と向かい合うように、手前には祠があった。岩を通して山を拝しているのだろう。
対馬で感じる古代的世界
初めての対馬への旅は、圧倒的な体験だった。よく聞く言い方に、「対馬は古い祭祀の姿、古い神道の様子を今に伝えている」というのがある。対馬神道という言い方もある。たしかに700平方キロメートルほどの島には神社の数も多い。亀の甲羅を焼いて亀裂で占う亀卜(きぼく)は、古代は対馬出身の卜部氏によって担われ、鹿島神宮や宇佐神宮など各地で行われていた。対馬のみが今もその伝統を伝えている。
島内にはあちらこちらに磐座であろうと思われる場所があり、神体山があり、また切ったままの素木をそのまま鳥居にしているような神社も多い。神道文化の古い姿が生きている、ともいえる。
そのひとつが、多久頭魂神社のある豆酘の海岸に立つ小松崎神社だ。小さな社だが、海に面した岩場に立つ素朴な鳥居がなにより印象的だった。もともとは海上から拝していたのだろう。神功皇后が豆酘に立ち寄り、船出をしたとされることにちなんだ「カンカン祭り」がある。祭りでは、長さ50センチほどの布製の紅白の古代舟を2艘作り、この海に浮かべる。航海安全と無病息災を願うという。
司馬遼太郎は『街道をゆく13 壱岐・対馬の道』で、次のように述べている。
“対馬の道を往きつつ右のように考えてくると、日本の神道が決して日本列島固有のものではなかったということがわかる”
天道法師の誕生譚が、「日光感精型」として東アジアに広く見られる神話や伝説とつながっているように、岩を積んで拝し、太陽をそして天を拝し、山を拝し、海を拝する。自然を通して神を感じ、拝するという信仰は、神道や日本といったものよりも、さらにずっと深い層へとつながっているのだと感じた。対馬は、国や宗教といった枠を外して、見つめたい場所だ。
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