安倍元首相の国葬賛否に欠ける「英霊崇拝」の憂慮 国家が悲劇の個人の死を弔うことの意味は何か

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澤田:英霊という言葉は、戦後の韓国でも使われたそうですね。

:帝国日本の戦死者崇拝と政治宗教の儀礼は、戦後も東アジア各国に残った。アメリカ軍に占領されて戦前を全否定せざるをえなかった日本と違い、国家建設が切実な問題だった新生独立国の韓国は典型例だった。韓国では、さまざまな国家儀礼で「護国英霊」や「祖国の守護神」といった呼称が使われた。戦死者の神格化は、植民地朝鮮より解放後の韓国で強まったと言える。

敗戦前の靖国神社の招魂祭と同じように、ソウルの国立墓地で開かれる戦没将兵の合同追慕式に参列する遺族は特別な配慮と礼遇を受けた。国家神道ではなく仏教やキリスト教の儀礼となったし、いくつか追加されたこともあったが、新生独立国・大韓民国の戦死者儀礼は基本的に帝国日本の政治宗教から出たものだ。

ただ韓国の新世代にとっては、「英霊」はもはや耳慣れない古い言葉になっている。モッセの著書『‘Fallen Soldiers’』が翻訳された時に付けられた書名が象徴的だ。日本語版タイトルは『英霊』とされたが、私が解題を付けた韓国語版は『戦死者崇拝』だった。

日本らしくない過剰な哀悼

澤田:安倍氏の「国葬」を巡る日本国内の動きから何を感じていますか。

:ダイアナ妃が自動車事故で亡くなった時、冷淡だった王室を除く全国民が哀悼ムードに包まれた英国は、まるで「服喪中の国」という様相を見せた。

それは、帝国としてのかつての栄光を失った社会の底辺に押し込められてきた「ポスト・コロニアルな憂鬱」が、ダイアナの死によって噴き出したかのようだった。彼らが哀悼していたものが、ダイアナの死だったのか、あるいは失墜した大英帝国の威光だったのか、今でもどちらなのだろうという思いにとらわれる。

帝国だった時代の日本を懐かしむ声を堂々と上げていた安倍氏の死を悼み、「国葬」を語る日本らしくない過剰な哀悼という大きなうねりを見て、衰退した帝国のかつての栄光に対する「ポスト・コロニアルな憂鬱」を感じるとしたら、それは行き過ぎた解釈なのだろうか。

澤田 克己 毎日新聞論説委員

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さわだ かつみ / Katsumi Sawada

1967年埼玉県生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。在学中、韓国・延世大学で韓国語を学ぶ。1991年毎日新聞社入社。ソウル特派員、ジュネーブ特派員、外信部長などを経て2020年から現職。著書に『「脱日」する韓国』(ユビキタ・スタジオ)、『韓国「反日」の真相』(文春新書、アジア・太平洋賞特別賞)、『反日韓国という幻想』(毎日新聞出版)、『新版 北朝鮮入門』(共著、東洋経済新報社)など、訳書に『天国の国境を越える』(東洋経済新報社)。

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