安倍元首相の国葬賛否に欠ける「英霊崇拝」の憂慮 国家が悲劇の個人の死を弔うことの意味は何か
林:脱走兵よりも無名戦士を記念する碑のほうが圧倒的に多いという、私たちの記憶文化の現実が物語っているのではないか。脱走兵は「敵」というレッテルを張られた他人に銃を向けることを拒否した末に銃殺されたヒューマニストたちである一方、無名戦士は祖国のために壮烈な戦死を遂げた人たちだ。国家の命令に従って、国家のために死んだ者を英雄に仕立て上げる儀礼が必要なのだ。
興味深いのは、ジョージ・モッセの著書『大衆の国民化』の日本での売り上げが事件後に伸びたことだ。フランス革命以降の国民主義の展開を大衆的儀礼やシンボルから考察したファシズム研究の書だ。国葬こそ大衆を国民化する装置だという批判意識が、モッセの本を求める理由ではないだろうか。アマゾン・ジャパンの「ナチス関連」図書の販売ランキングでこの本が上位に上がってきたことを知り、日本社会の知的な力はたいしたものだと思った。
澤田:靖国神社の戦死者崇拝は、第1次大戦後の欧州諸国と共通性があると著書で指摘されています。どういう点が共通し、違っている点は何でしょうか。
林:戦死者崇拝を通じて国民国家への忠誠心を呼び起こす点は共通している。日露戦争(1904~1905年)を経て戦死者崇拝を強めた日本は、第1次大戦(1914~1918年)を契機に同じ道を歩んだ欧州諸国にとっての先駆者だったと表現できるかもしれない。イタリア・ファシズムの代表的理論家だったエンリコ・コラディーニが、日本から政治宗教を学ばなければならないと力説したことも興味深い。コラディーニによれば、日露戦争を経て国家と民族に神性を与え、国民にその世俗的政体を崇拝させるように仕向けた日本の政治宗教は、国民統合の模範答案だった。
日本と欧州の違いは宗教的なバックグラウンドだろう。崇拝対象を新たに加えるのが容易な神道は、一神教のキリスト教と大きく違う。欧州諸国は、キリスト教という伝統宗教と国民国家という世俗宗教の間で国民の忠誠心を争わねばならなかった。
武道館と靖国神社の位置関係
澤田:安倍氏の国葬が開かれる武道館と、靖国神社の位置関係にも着目されていますね。
林:実証史学の父と呼ばれ、戦前に東京大学教授を務めた黒板勝美は、靖国神社を政治宗教の場とすることに取り組んだ。欧州視察で見た諸民族の記念碑や愛国の祝祭に感銘を受けた黒板は、靖国神社の周囲に古代ギリシャのオリンポス競技場のようなものを建て、国民的な祝祭を執り行う聖なる空間とするよう提案した。競技場は実現しなかったが、千鳥ケ淵戦没者墓苑と武道館、昭和館、科学技術館、近代美術館などが周囲に配されたことで、政治宗教的な複合空間としての靖国神社に対する黒板の提案はある程度実現したと言えるだろう。
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