30年ぶり「マツダがレース」に帰ってきた深い訳 次世代を見据えたMAZDA SPIRIT RACINGの活動

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同じ1974年には、マツダとして始めてルマン24時間レースにも挑戦している。このときは、マツダオート東京を含めたほかのチームと連携して参戦。さらに、1979年にはマツダオート東京として参加した。

続く「第2次3カ年計画」では、ヨーロッパの有力チームと組んで「ファミリア(Mazda323)」でラリーに、「RX-7」で耐久レースなどに参戦している。ルマン24時間をともに戦ったマツダオート東京への技術支援も強化した。

こうした中、ヨーロッパのラリー拠点として「マツダ・ラリー・チーム・ヨーロッパ(MRT(E)」を1983年に設立。さらに同年、マツダオート東京などとマツダの共同出資で「MAZDA SPEED」を設立している。

その後も、1984年から「第3次5カ年計画」によって、モータースポーツ活動がグローバルでのマツダ車の販売強化を裏で支えてきた。さらに1989年から新たに4カ年計画を立て、その成果が1991年の「787B」によるルマン24時間での日本チーム初優勝に到る。

ルマン史上、唯一のロータリーエンジン搭載での優勝となった「MAZDA 787B」(写真:マツダ)

またバブル崩壊後の経営立て直しなどもあり、ルマン24時間での勝利を1つの区切りとして1992年10月、マツダは関連会社や有力チームなどと協力して行う形のモータースポーツ活動を休止した。

それから、2022年のMAZDA SPIRIT RACINGの本格活動開始まで、アメリカの耐久レースシリーズ「IMSA」など、地域のマツダ関連企業が主体とったレース参戦はあったものの、マツダ本社がチーム運営全体をマネージメントするモータースポーツ活動はなかった。

サブブランドとして育てていく

MAZDA SPIRIT RACINGの誕生は、1992年の休止発表から30年ぶり、1970年のワークス活動休止から数えれば実に52年ぶりのワークスチーム活動再開だと言えるのだ。

ただし、前述にようにMAZDA SPIRIT RACINGは、メーカー主導の「勝つことが絶対」といったガツガツした事業ではない。

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マツダの毛籠勝弘専務は、MAZDA SPIRIT RACINGのこれからについて「マツダの新たなるサブブランドとして継続的に展開できるよう、大切に育てていきたい」と豊富を語る。

ユーザーや販売店とマツダが手を取り合って、マツダのこれからのあるべき姿を追い求めていこうという、MAZDA SPIRIT RACING。参加するすべての人の笑顔が絶えないモータースポーツ活動が歩んでいく姿を、これからも近くで見守っていきたいと思う。

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桃田 健史 ジャーナリスト

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ももた けんじ / Kenji Momota

桐蔭学園中学校・高等学校、東海大学工学部動力機械工学科卒業。
専門は世界自動車産業。その周辺分野として、エネルギー、IT、高齢化問題等をカバー。日米を拠点に各国で取材活動を続ける。一般誌、技術専門誌、各種自動車関連媒体等への執筆。インディカー、NASCAR等、レーシングドライバーとしての経歴を活かし、テレビのレース番組の解説担当。海外モーターショーなどテレビ解説。近年の取材対象は、先進国から新興国へのパラファイムシフト、EV等の車両電動化、そして情報通信のテレマティクス。

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