明治の"熱海への足"は人が押す「人車鉄道」だった 国木田独歩も乗車、ラッパを吹きながら走る

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人車時代の真鶴駅は城口駅という名前で現在のJR真鶴駅前にあった。ここから海岸線に出て吉浜駅を経由し、湯河原温泉への玄関口である門川駅まではさほどの距離ではない。

時刻表を見ると、独歩が乗った人車が門川駅に到着するのは18時25分で、ちょうど夏の日暮れの時刻である。『湯ヶ原ゆき』の最後は、「日は暮れかかつて雨は益々強くなつた。山々は悉く雲に埋れて僅かに其麓を現すばかり。我々が門川で下りて、更に人力車に乗りかへ、湯ヶ原の渓谷に向つた時は、さながら雲深く分け入る思があつた。」という一文で締めくくられている。

独歩の旅は湯河原で終わるが、このまま熱海まで歩を進めることにしよう。門川の先で千歳川を渡ると、静岡県熱海市に入る。ここから、熱海の中心市街地まではおよそ6.4km。途中、昨年夏に土石流被害を受けた伊豆山エリアにあった伊豆山駅に停車した後、人車は一路、熱海駅へと向かう。

なお、人車の熱海駅はJR熱海駅前から南西に100mほどの、現在は「大江戸温泉物語 あたみ」(かつての「南明ホテル」跡地)になっている場所にあった。大江戸温泉の建物前には、人車鉄道の記念碑が立てられている。

人車鉄道の熱海駅跡(現・大江戸温泉物語 あたみ)に設置されている記念碑(筆者撮影)

今後も伝えたい「幻の鉄道」

以上、見てきたように人車時代は熱海駅・小田原駅も含めて全9駅だったが、軽便時代になるといくつか駅が増え、時間短縮も図られた。しかし、その後は省線の熱海線(現在の東海道本線の国府津―熱海間)が延伸されるのに伴い営業区間を短縮し、1923年に関東大震災で甚大な被害を受けると、復旧できないまま翌1924年に廃止となった。

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豆相人車鉄道が運行されたのはわずか10年余にすぎず、まさに幻の鉄道であった。今年は日本の鉄道150年の記念すべき年であるが、鉄道の黎明期にはこのような乗り物も存在したという記憶は留めておいてほしいと願う。人車鉄道の駅跡には案内パネルが設置されている箇所もあり、これらをたどりながら廃線跡を歩いてみるのも一興である。

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森川 天喜 旅行・鉄道ジャーナリスト

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もりかわ あき / Aki Morikawa

現在、神奈川県観光協会理事、鎌倉ペンクラブ会員。旅行、鉄道、ホテル、都市開発など幅広いジャンルの取材記事を雑誌、オンライン問わず寄稿。メディア出演、連載多数。近著に『湘南モノレール50年の軌跡』(2023年5月 神奈川新聞社刊)。2023年10月~神奈川新聞ウェブ版にて「かながわ鉄道廃線紀行」連載開始

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