「山下達郎」新アルバムが大ヒットした納得事情 11年ぶりオリジナル・アルバムの注目点
今のほうが多いと感じる理由は、単に近年はSNSで「一般人の反応」が目に入ってくるからだろう。出演・掲載情報をオフィシャル・ウェブサイトで発表するようになった。タイムフリー機能により聴けるラジオ番組が増え、その聴取中にいろいろ書くリスナーや、雑誌購入を報告する(だけの)コメントやつぶやきが多いというだけなのではないだろうか。
それを「そこまでの出来ではない」「戦争中の洗脳みたいで気持ち悪い」などと書き違和を唱えるのは違うと思う。これは、以前ならば学校や職場、家庭で交わされていただけの会話が可視化されたにすぎないだろう。また、多くのSNS投稿者・閲覧者は、客観情報以外は基本的に「いい話」を載せたい・読みたいからでもあるだろう(炎上狙いの御仁は除いて)。
批判・中傷ととれる内容をすべて(それこそ本人やその周辺)の目に留まる形で載せるのは大いに疑問だ。それが原因で活動に支障をきたしたり、自ら命を絶つ表現者がもう何人も出ているというのに。
あえて再び書くが、新作が気に入らなかったのであれば、何も言わずに次を買わなければいい。コンサートが気に入らなかったのであれば、単に次に観にいくのをやめればいい。
「ジャケットが遺影みたい」という声も
それから「アルバムカバー(ジャケット)が遺影みたい」という声もよく目にするが、表現者、特にキャリアを重ねてきている表現者は「今回が最後になってもよい、この舞台が最後になっても悔いの残らないようにしよう」という覚悟をもって臨んでいるということに気づかないのだろうか。遺影にみえるという解釈は、ある意味で正解だろうに。
最後に筆者の立場を明かしておく。僕は運よく山下達郎と面識のある身だ。11年前の彼のツアーパンフレットに小文を寄せるという栄誉に浴するなど、よくしてもらっている。といっても特別な関係はないし、同じ事務所に所属している訳でもない。
もし彼がこの記事に目を通してくれたのであれば、上に挙げた「悪口・妬み」記事ともども、「そんなことを書かれても痛くもかゆくもない」と彼が一笑に付してくれることを願っている。
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