独自取材メモで振り返る安倍氏の肉声と“DNA"  「安倍1強」の最大根拠となった日米同盟強化

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2006年9月に発足した第1次安倍内閣(写真:JMPA)

7月8日に凶弾に倒れた安倍晋三元首相。筆者は安倍氏が自民党幹事長時代にロングインタビューをしたことがあった。

この40年ほど、筆者が愛用する8穴のシステム手帳2004年版を繰ると、「4月6日午後4時、自民党本部安倍幹事長」の記述がある。ちなみに筆者はその手帳の青色ペーパー(縦14センチ、横8センチ)を取材メモとして使い、ファイルする。当然のことだが、膨大な取材メモが手元に残っている。

祖父・岸信介と小泉氏の類似性

「040406安倍晋三氏」と題された横書き取材メモを基に、その日の安倍氏の生発言を再録したい。

東京・永田町の自民党本部4階の総裁応接室で、安倍氏は次のように語った。

「小泉(純一郎)総理が初めてブッシュ大統領(子)とキャンプデービッド(ワシントン郊外の大統領別荘)で会談したときのことですが、総理が冒頭で陪席した私(官房副長官)を大統領に紹介して、こんな話をしたんです」

「この人のおじいさん(岸信介元首相)は日米安保改定をやって、そのときの自分の父親(小泉純也元防衛庁長官)は衆院外務委員長だった。当時は米軍基地問題などで(国内の)反米的雰囲気が強くて2人とも大衆に罵倒されながら懸命に安保の必要性を説いた、と」

「なかなかいい会談の導入だったから、ブッシュ大統領は身を乗り出して聞いていましたよ。すると今度は大統領が当時の話をして、あのとき私のおじいさん(プレスコット・ブッシュ上院議員)は米議会の上院外交委員長だったと笑って応えた。日米それぞれに因縁があるわけです」。

なぜ、この話を持ち出したのか。当時の小泉首相は新自由主義に傾注し、規制改革論者との印象が定着していた。

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