「最大実力者」安倍氏死去で自民党はどう変わるか 憲法改正、金融緩和で「カリスマ」不在に
安倍氏は2006年から1年間と、2012年から7年8カ月の計8年8カ月、首相として日本のかじ取りを担った。
第1次政権では「再チャレンジ」などを掲げたが、参院選で惨敗し、退陣を余儀なくされた。第2次政権では金融緩和、財政出動、成長戦略を「3本の矢」とするアベノミクスを提起。日銀総裁に黒田東彦元財務官を起用して、大規模な金融緩和が動き出した。
株価が急上昇し、経済界などから歓迎された。公共事業の拡大など財政出動も続いて地方の雇用情勢も改善した。しかし、肝心の成長戦略や構造改革は自民党支持の業界団体の抵抗もあって進展しなかった。
2015年には集団的自衛権行使の一部容認を柱とする安全保障法制を国会に提出。野党が強く反対するなか、関連法案の審議、成立を押し切った。
2020年秋に退陣後も強い影響力
森友学園問題では、安倍氏の支援者に国有地が格安で払い下げられていた疑惑が表面化。財務省の公文書が改ざんされていたことも明るみに出て、その過程では、近畿財務局の担当者が自殺に追い込まれた。
安倍首相主催の「桜を見る会」に地元後援者を多数招待するなど公私混同も露呈した。新型コロナウイルスの感染拡大に十分対応できず、2020年秋には持病の悪化を理由に退陣した。
それでも安倍氏は影響力を維持しようと懸命だった。安倍氏の後継を決める自民党総裁選では菅義偉官房長官(当時)を支持、菅政権の実現に貢献した。
コロナ対応に行き詰まって菅首相が退陣したことを受けた2021年秋の総裁選では、第1回投票で保守派の高市早苗氏を支援。岸田文雄、河野太郎両氏の争いとなった決選投票では、岸田氏を支持して岸田政権誕生の流れを主導した。そして、自民党最大派閥「清和会」の会長を細田博之・衆院議長から引き継ぎ、党内最大実力者の地位を確立した。
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