おぼん・こぼん「奇跡の仲直り」後の“今"を吐露 最悪の状況から別れず踏みとどまった想いとは
「おぼん・こぼんTHE FINAL」放送から約8カ月。もし、再び険悪なムードに戻っていたらどうしよう……そんな筆者の余計なお世話は、杞憂に過ぎなかった。
おぼん・こぼんは、大阪福島商業高校(現・履正社高校)時代にコンビを結成。このとき、ともに17歳。学生漫才師でありながら、オーディション番組「素人名人会」、「トクホンしろうと寄席」といった番組で優勝し、スカウトされる。余談だが、「素人名人会」の会場では、当時小学生だった海原千里、後の上沼恵美子ともしのぎを削っている。
上京後は、キャバレーなどで下積み時代を過ごしたことが、自伝的回顧録『東京漫才』に詳しく書かれている。
若手時代は高級キャバレーで芸を磨く
おぼん:「俺たちには師匠がいない。だから、2人だけで芸を磨くしかない。音楽的な要素とか入れないとウケないから、週に1回、ジャズのレッスンを受けるために、先生の家に行ったりしてさ」
そして、22歳のとき、「赤坂コルドンブルー」のレギュラー出演者として抜擢される。以後、10年間ステージに立ち続けた。こぼんは、「キャバレー時代が、僕らの芸の礎になっている」と振り返る。
「赤坂コルドンブルー」は、高級キャバレー(高級レストランシアター)として一世を風靡した伝説的な遊興施設だ。1人あたりの料金は当時で5万円。ステージや衣装、出演者のギャラなどに費やす1カ月の経費は約1200万円――、現在の価値に換算すると1億円近いお金が消えていたという。
今年5月、「ENGEIグランドスラム」でおぼんがトロンボーン、こぼんがサックスを演奏する音曲漫才を披露したが、こうした芸のバックボーンは、「赤坂コルドンブルー」時代に磨かれたものだ。
業界人との接点も多かった「赤坂コルドンブルー」をきっかけに、2人は「お笑いスター誕生!!」に出演し、一度も不合格にならずに10週連続勝ち抜きグランプリを受賞する。ときは「漫才ブーム」、おぼん・こぼんのメディアへの露出は激増した。
――と、まことに簡単ではあるものの、おぼん・こぼんブレイクまでの足跡を振り返ると、以上のようになる。
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