「マトリックス」が描いた90年代アメリカの不安感 インターネットの普及で社会は一変し始めた
今でこそ、これらの物語を新しくは感じないかもしれません。しかし、当時はまだネット上の仮想空間はありませんし、リアリティ番組も今ほど市民権を得ていませんでした。それでも、これらの映画がヒットしたということは、その時点で私たちがこうした世界を受け入れる素地ができていたということなのです。
このことはすでに80年代に思想家のジャン・ボードリヤールが『シミュラークルとシミュレーション』において考察していたことであり、『マトリックス』のウォシャウスキー兄弟はこれを参考にしていたと語っています。
「24時間いつでも好きなときに」の欲求
現在の私たちが生きる世界を見れば分かるように、インターネットは世の中を一変させました。人々はコンテンツに24時間いつでも好きな時に触れられるようになり、一方で娯楽やフィクションが現実にとって代わるようになったのです。
80年代にMTVがミュージックビデオを24時間放送するようになり、CNNのケーブルテレビがニュースを放送し続けたことで、人々がいつでもメディアに触れられるという感覚を持つことになりました。ただ、それはあくまで放送でしたから、正確な意味で好きな時に見られるわけではありません。しかし、インターネットがここまで求められた背景には、MTVなどによって醸成された欲求があったのだと思います。
基本的に、インターネットは誰もが発信者になれるため、既存のメディアのように正確性を担保するものはありません。
『アメリカの反知性主義』で有名な歴史学者リチャードホフスタッターは『アメリカ政治の妄想的思考様式』で「妄想的な文献で印象的なのが、空想的な結論と、ほとんど感動的なまでに事実にこだわる姿勢とのコントラストであり、この特徴は例外なく見られる」と述べています。これはまさにインターネットの言説について当てはまることです。
こうした真偽不明の資料はネット上に溢れ、S N Sによって拡散されます。そこではジャーナリストなど情報を扱うプロですらだまされてしまうほどの「緻密な」、そしてもっともらしい情報が見つかります。
UFOやUMAなどの超常現象をテーマとしたドラマシリーズ『X-ファイル』(1993─2002)がこの時代に人気を博したのは、そうした状況を反映しているのかもしれません。『X-ファイル』のキャッチコピーは「真実を求めて」「信は理解なり」「誰も信じるな」というものです。これはまさにアメリカ人の姿勢を表わしたものです。
1990年代のアメリカは、情報通信産業の発展やグローバル化によって経済的に安定した成長を遂げました。しかし、ドナルド・トランプの当選時にも話題になったラストベルトの問題、すなわち自動車や鉄鋼など伝統産業の衰退は、すでにこの頃から起こり始めていました。上手くいく人とそうでない人の差がはっきりとして、いわゆる中流階級の人たちすべてがアメリカン・ドリームを持てる時代は終わってしまったということが明らかになったのです。
そんな時代のアメリカの一般家庭の姿を描いたのが、サム・メンデス監督の『アメリカン・ビューティー』(1999)でした。
あの映画でケヴィン・スペイシーが演じた主人公レスターは広告代理店の社員で、妻も働いていて比較的余裕のある生活をしています。マイホームがあって妻と娘がいる、表向きは満足いく中流家庭です。
しかし、裏では様々な軋轢や屈折があって、それが徐々に滲み出してくる。家庭内では上昇志向の強い妻から馬鹿にされ、娘にも相手にされない。妻や娘もまた、それぞれの劣等感に苛まれています。ひょんなことから娘の同級生に恋をしたレスターは、自分を変えようと努力するのですが、訪れたのは何とも言えない悲劇でした。