日本と中国「経済安全保障」の概念が台頭した事情 「政経分離」の原則は何を境に霧消してしまったか

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第二に、新型コロナによるパンデミックは、マスクや医療防護具、ワクチンなどの世界的な需要が急増したが、その供給が中国に過度に偏っていることで、中国は「マスク外交」や「ワクチン外交」を展開し、生命や健康にかかわる製品にまで経済的強制を仕掛けてくる可能性が高まり、実際、欧州や南米諸国に経済的強制を実施したことである。同時にマスクやワクチンを優先的に輸出して中国の好感度を上げるという戦略も展開した。

こうした中国による「エコノミック・ステイトクラフト」の影響を軽減し、貿易を「武器化」することで政治的な圧力をかけられないようにするためにも、サプライチェーンの強靭化が求められるようになった。

WTOの機能不全が明らかに

第三に、トランプ政権期にアメリカが自由貿易に背を向け、WTOの上級委員の任命を拒むなど、WTOの機能不全が明らかになったことがある。2010年のレアアース禁輸はWTOで勝訴することで、少なくとも中国は自国からの禁輸といった措置は取らなくなったが、貿易を「武器化」しても、WTOを通じて歯止めをかけることができなくなった。そのため、国際法的な対処が難しくなり、自己防衛のための措置を取らざるをえなくなったのである。

こうした背景から、中国への警戒心を隠さない自民党の重鎮である甘利明が中心となって、「『経済安全保障戦略策定』に向けて」と題する提言書が2020年12月に出され、2021年5月にも経済安全保障戦略を「骨太の方針」に加えることを求める提言が出された。これらの提言を受けて、2021年に発足した岸田内閣では経済安全保障担当大臣を設け、若手の小林鷹之を大臣に据えて、経済安全保障推進法案の策定に注力し、2022年5月に同法案が国会で可決された。

しかし、こうした経済安全保障への傾斜が、対中経済関係を遮断する、いわゆるデカップリングに向かうわけではないという点には注意が必要である。日本はこの間も中国を含む多国間枠組みであるRCEPを批准し、中国との自由貿易を推進する立場も取っている。日本にとって、これからの対中経済関係は、一方では国交正常化以前から続く経済関係を維持し、自由貿易による双方の利益を追求しつつ、中国によるエコノミック・ステイトクラフトから自らを守るべく、基幹インフラや戦略的重要物資に関しては自律性を高めていくという措置を取る、という二階建ての対応をしていくことにならざるをえなくなるだろう。

(鈴木一人/東京大学公共政策大学院教授、アジア・パシフィック・イニシアティブ上席研究員)

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