この時期は中国が日本にキャッチアップする段階ではあったが、後の飛躍的な経済発展の基礎作りに日本が大きく貢献した時期でもある。文化大革命後の旺盛なインフラ需要や農業改革などへの支援、さらには賠償請求の問題を不問にした一方で、中国に対するODA(政府開発援助)として円借款を中心とする援助を行った。こうして、日中経済関係は、「政経分離」の原則を貫くことで、日本側にとっては、中国への進出によるビジネス上の利益と日中関係の安定化に寄与し、中国側にとっては技術指導などを通じた近代化の推進と経済発展を実現するものとして双方にメリットのあるものとなった。
天安門事件とWTO加盟
1989年6月の天安門事件は、中国の経済発展が民主化に向かっていくという楽観的な見通しを否定する衝撃的な事件であり、その経済発展を支えてきた西側諸国が中国と距離を置く出来事であった。天安門事件直後に開かれたG7アルシュサミットでは、武器禁輸や世界銀行の融資凍結などが合意され、日本も円借款を停止した。
しかし、近年公開された外交文書で、日本は当初から中国を孤立化させることに反対し、制裁に消極的であったことが明らかになっている。当時のアメリカのブッシュ(父)政権は日本が中国を擁護する立場を取ったことで日本が孤立化する恐れがあるとして、中国の孤立化に関する表現を緩和するよう働きかけた。なお、サミット直後に行った円借款凍結も1990年11月には解除している。
日本にとって、中国との関係を良好に保つこと、とりわけ国交正常化以前から進めてきた「政経分離」の原則を踏まえた経済関係の継続を優先した。日本が中国を擁護する立場を取ったのは、経済的な利益だけでなく、中国の孤立化による暴走を懸念したという側面もあるだろう。
中国が天安門事件による孤立化を避け、グローバルなサプライチェーンに組み込まれていく中で、飛躍的な経済発展を可能にしたのが2001年のWTO加盟であった。日本にとって、中国のWTO加盟は二国間貿易の枠組みから、多国間貿易の枠組みに転換することを意味し、東南アジア諸国に広がるサプライチェーンと中国を結び付けることで、さらに多角的な経済的結びつきの枠組みを作ることを目指していた。
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