日本人が「思わず手を合わせてしまう」心理の深層 アニミズム的心性を伝えてきた「神道の歴史」

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平安時代には「蟻の熊野詣で」と言われたように、都の貴族たちから天皇までこぞって熊野三山に参拝した。熊野には先達とよばれる行者たちがいて、人々を参詣に導いた。都では御霊信仰が広まった。

祇園信仰も天神信仰も御霊信仰の系譜に位置づけられる。天神信仰は藤原氏の策略で太宰府に左遷させられすぐに没した菅原道真の霊が祟って、宮中に雷が落ちたり疫病に襲われ、国家中枢の藤原氏や天皇が次々死んでいったという出来事に端を発している。これを道真の霊の祟りだとして神として祀る(北野天神社)ように促したのは、神霊が憑依した多治比文子(たじひのあやこ)や近江の比良宮の神職の息子の太郎丸だと伝えられている。

神道の活力と民間の精神文化

アマテラスが男神として現れたり、スサノオが大活躍する「中世神話」が注目されている。こうした神々の神話的伝承が広がるのは中世で、密教の影響を受けつつさまざまな神道教説も形成されていった。これらは近世の吉田神道、近代の教派神道などに受け継がれていく。

6月24日(金)に島薗進さんの『教養としての神道:生きのびる神々』刊行記念オンラインイベントを実施します。詳しくはこちら(写真:筆者提供)

苦難の生活経験を経て、シャーマン的な神の降臨から救いの神の教えを広める教祖が現れるのは、19世紀の中頃だ。黒住教、天理教、金光教、大本教といった庶民の教祖による教派神道は20世紀の前半には、日本の宗教界の有力な一角を占めるに至る。だが、沖縄のノロやユタの宗教、卑弥呼や古代八幡の信仰の系譜がこうして現代に至るまで続いてきた。

神道は古代国家によって最初の組織化が行われたのは確かだ。しかし、その後の歴史のなかで日本全国で神々の信仰が活力を保ち、多くの人々の信仰を集めてきた歴史は霊威神の働きを除外しては理解できない。現代のパワースポット・ブームや宮崎駿のアニメ、そしてグリーフケアの興隆のなかにもこうした精神文化が受け継がれている。日本の精神文化の古層にアニミズムを見る理解は今も有効で、アーティストの助けも借りつつ、多くの人々の想像力をかきたてている。

島薗 進 宗教学者、東京大学名誉教授

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しまぞの すすむ / Susumu Shimazono

日本宗教学会元会長。1948年、東京都生まれ。東京大学文学部宗教学・宗教史学科卒業。同大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。主な研究領域は、近代日本宗教史、宗教理論、死生学。著書に『宗教学の名著30』『新宗教を問う』(以上、ちくま新書)、『国家神道と日本人』(岩波新書)、『神聖天皇のゆくえ』(筑摩書房)、『戦後日本と国家神道』(岩波書店)などがある。近著に『教養としての神道 生きのびる神々』(東洋経済新報社)

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