日本人が「思わず手を合わせてしまう」心理の深層 アニミズム的心性を伝えてきた「神道の歴史」

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東京の上野公園には花園稲荷神社があるが、そこには「お穴様」がある。穴が神聖な存在なのだが、それは稲荷信仰の歴史と深く関わっている。稲荷信仰の本拠で、神道の歴史の初期から続いてきている京都の伏見稲荷では、他界に通じる穴が信奉され、狐はこの世とあの世を行き来できる神の使いとして尊ばれた。今も伏見稲荷には「お塚」とよばれる小祠が数千という単位であり、信奉されている。

稲荷信仰はシャーマニズムとも関わりが深い。シャーマンとは霊的な世界とやりとりができる存在だ。シャーマニズムは近世近代には富士講、御嶽講、石鎚講などの山岳信仰でも盛んだったが、古いところでは八幡信仰があり、さらには卑弥呼の時代にまでさかのぼることができそうだ。そして、沖縄では女性が神と人を取り継ぐ役を果たす文化が長く続いてきた。神道がこうした古代国家以前の信仰様態と連続的であることは、柳田國男や折口信夫以来の民俗学者が強調してきたところである。

こうした古代以前と地続きの文化は、日本ではあまり違和感がないのだが、かつてはアニミズムとよばれ、原始宗教の特徴とされたものだ。都市文明が育ち、深い思想と信仰を伴った宗教が広まるとともにアニミズムは駆逐される。とはいえ、まったくなくなっていくのではなく、聖人を祀ったり、お守りを尊ぶことは許容されていることは多い。ただ、それは宗教文化の周辺でのことだ。

大地に根ざした神々の存在感

日本ではそれが文化の中心に位置したまま現代に至っている。そのことを堂々と表明しているのが神道だ。原初的な神々の信仰が現代にまで生きのびてきているのだ。王室(皇室)がそのようなお祭りを今もひんぱんに行っているのは世界に類例がない。その起源は古代の大和王朝にあるのは確かだ。太陽の神の命(天壌無窮の神勅)に従い、代々国を治める神聖な地位を引き継ぐ国王という理念が記紀に記されている。

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